桂文喬
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桂 文喬(かつら ぶんきょう)は、上方落語の名跡。当代は特に代数を名乗ってはいないが、過去には3代目までの存在が確認できる。
- 初代 桂文喬(1853年 - 1902年10月10日)は、後の2代目桂梅枝。2代目桂文枝(桂文左衛門)門下。俗に「オッペケペーの梅枝」と言う。本名: 山本久吉。享年50。
- 2代目 桂文喬(生没年不詳)は、2代目梅枝門下。俗に「左官の文喬」と言う。本名、享年ともに不詳。
- 3代目 桂文喬(生没年不詳)は、2代目梅枝門下。初め梅高、後に3代目文喬を襲名。本名、享年ともに不詳。
当代
桂 文喬(かつら ぶんきょう、1950年 - )は、本名: 中村 勝(なかむら まさる)。神戸市長田区出身。吉本興業所属。出囃子は『本調子まつり』。
来歴・人物
長田小学校、飛松中学校、兵庫県立長田高等学校から大阪府立大学経済学部に進む。もともと教員志望であったが、大ファンであった3代目桂小文枝(5代目桂文枝)の子息の家庭教師となり、それをきっかけに、卒業を控えた1973年2月、正式に入門。
現在は出身地・長田の震災復興を落語家の立場からサポートし、YOSE夢屋のスーパーバイザーとしても活躍している。
また、落語家の中でも教員免許を持つ博学で知られ、環境問題、人権問題、子育て論、男女共同参画などをテーマに、全国の教育機関などでの講演を行っている。
ひどい音痴でも知られ、ABCラジオ「歌謡大全集」木曜日(担当は桂かい枝・森川みどり)で、文喬の鼻歌イントロで曲名を当てるコーナーができたほどである。(ちなみに正解を得るのは至難の技である。)