遠山景任
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遠山 景任(とおやま かげとう)は戦国時代の武将。岩村遠山氏当主。美濃国恵那郡岩村城主。父は遠山景前か。妻は織田信長の叔母(おつやの方)。
生涯
景任は、美濃遠山氏の総領である岩村遠山家の当主である。織田信長と縁戚関係を結び、信長の叔母を娶るとともに、信長の子(御坊丸のちの織田勝長)を養子に迎え継嗣とした。
元亀3年(1572年)、上洛を目指す武田信玄が部将の秋山信友に軍を預けて東美濃へと攻め込んできたとき、景任は遠山景行・遠山友忠などを伴って徳川氏にも援軍を要請して対峙。上村で激突した(上村合戦)が敗れ、岩村城へと退いた。
その後、籠城して秋山勢と抗戦しようとしたが、元亀3年(1572年)12月3日に城中にて病死してしまった(あるいは上村合戦で受けた傷がもとで、36歳で死去したとも)。また同じ頃に、信長の援軍(織田信広・河尻秀隆ら)が派遣されたが援軍は信友の伏兵に敗れて撤退してしまう。その為、城主の死と援軍の敗走が重なった城兵の士気は一気に下がり、景任の妻は信友の妻となることで降伏してしまった。
彼の死により、美濃遠山氏惣領家たる岩村遠山氏の血統は断絶した。