アヴィス王朝
アヴィス王朝(Dinastia de Avis、テンプレート:IPA-pt)は、1385年から1580年までポルトガル王国を支配した王朝。大航海時代の黄金期を築いた。
歴史
ブルゴーニュ王朝のフェルナンド1世の死後、王女ベアトリスと結婚して王位継承をもくろんだカスティーリャ王フアン1世が軍勢を率いて侵攻したが、ペドロ1世の私生児でアヴィス騎士団総長を務めていたジョアン1世はこれを撃退した。この功績によりジョアンはコルテス(身分制議会)によりポルトガル王に推戴され、再度侵攻してきたカスティーリャ軍をアルジュバロータの戦いで撃退して王位を確立した。中世ヨーロッパでは私生児が王位に就くことは極めて稀で、ポルトガルの歴史上、新王朝を創設したと見なされる。加えて、国王がコルテスによって選定されたことは文字通り空前絶後の出来事であった。ジョアン1世の息子の一人エンリケ航海王子は、ポルトガルの大航海時代の基礎を築いた。
アヴィス家の嫡流はジョアン2世を最後に断絶し、その死後に従弟で王妃レオノール・デ・ヴィゼウの弟でもあったマヌエル1世が王位を継いだ。マヌエル1世の家系を特にアヴィス=ベージャ家(Avis-Beja)と呼ぶ。このマヌエル1世とジョアン3世の時代にポルトガルは喜望峰経由でインド洋に進出し、香料貿易を独占、黄金期を迎える。
しかし1578年、アルカセル・キビールの戦いによりセバスティアン王が後継者もなくモロッコで戦死すると、ポルトガルでは再び後継者問題が生じた。ひとまずセバスティアンの大叔父(ジョアン3世の弟)にあたるエンリケが王位に就いたが、高齢のため間もなく亡くなり、結局マヌエル1世の娘イザベルの息子であるスペイン王フェリペ2世(在位:1556年 - 1598年)が1580年にポルトガル王位を継承した。以後、フェリペ4世まで3代にわたってスペイン・ハプスブルク家の王がスペインとポルトガルの王位を兼ねる同君連合体制が続いたが、ポルトガル王政復古戦争を経て、1640年にブラガンサ王朝の下で独立を回復した。ブラガンサ家はジョアン1世の私生児ブラガンサ公アフォンソ1世の子孫の家系であり、また初代の国王ジョアン4世の祖母カタリナはマヌエル1世の孫であった。
歴代国王
- アヴィス家
- ジョアン1世 (在位:1385年 - 1433年)
- ドゥアルテ1世 (在位:1433年 - 1438年)
- アフォンソ5世 (在位:1438年 - 1481年)
- ジョアン2世 (在位:1481年 - 1495年)
- アヴィス=ベージャ家
- マヌエル1世 (在位:1495年 - 1521年)
- ジョアン3世 (在位:1521年 - 1557年)
- セバスティアン1世 (在位:1557年 - 1578年)
- エンリケ1世 (在位:1578年 - 1580年)
- アントニオ1世 (在位:1580年 - 1583年) ※王位請求者
系図
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- 凡例
関連項目
- サン・ヴィセンテの祭壇画:アヴィス家の結束のために作られたとも言われ、同王朝の初期君主達が描かれている。