南海2000系電車
テンプレート:鉄道車両 南海2000系電車(なんかい2000けいでんしゃ)は、南海電気鉄道の通勤形電車。山岳直通車両「ズームカー」の一系列であり、「ステンレスズームカー」「ハイテクズーム」「VVVFズームカー」の異名をとる。
64両が新製され、製造年次によって1・2次車、3・4次車、5 - 7次車に分かれる。
目次
概要
高野線の山岳区間である橋本駅 - 極楽橋駅間に入線することが可能な車体長17mの2扉車ズームカーである21001系・22001系および同形式の更新車である2200系の置き換え用として、1990年(平成2年)に運用が開始された。
制御方式は、南海では初採用となる日立製作所製GTO素子によるVVVFインバータ制御で、主電動機は東洋電機製造製で、出力は100kW、全電動車方式である。全車M車で初期型GTO素子VVVFインバータ装置を搭載している。機器的には2両1組の構成となっていて、一部の機器は2両に1つしか搭載されていない。このため、2両編成単独での営業運転は行われない[1]。
インバータ制御であるため、停止時および下り勾配での抑速制御時の回生ブレーキが可能となっている。回生ブレーキは運転本数の多い区間では発生した電力を他の列車の力行(加速)に容易に回せるので有効だが、それが少ない山岳区間では他に電力を消費する列車がなく回生失効となるケースが多い。そこで、本系列の導入に当たって山岳区間の変電所に回生電力吸収装置を設置することにより回生失効を防止するようにした。 ちなみに、常用ブレーキの初速が40km/h程度以下の場合は空制のみが作動し、回生は使用されない。
車体は軽量ステンレス製のダルフィニッシュ(梨地)仕上げとし、コルゲート板はなくビードラインを入れている。先頭車の正面はFRP製で、曲線を多く取り入れた形状となり、行先表示器は種別と行先に分けて左右に配置し、側面も種別用と行先用を独立して配置している。車内は荷棚がポリカーボネート製、蛍光灯にはアクリルカバーが付く。在来車との併結の必要性から、ブレーキは電磁直通ブレーキとなっている。
本系列は7回に分けて製造されたため、途中での仕様変更が多く、製造年によりパンタグラフの取り付け位置、車体外板のビード数、内装、座席配置などに違いがある。
車体長を高野線山岳区間の車両限界にあわせて17mとしたことや、ドアの数も片側2ヵ所と少ないので、通勤車としてはやや不向きの面もある。
本系列は女性専用車両の設定対象外となっている。また、17m車の運用の無い泉北高速鉄道では運行されない。
運用の推移
高野線へ導入・旧型車を置き換え
南海では、1990年前後のバブル期に乗客が増加し、車両増備の必要性も増したが、20m4扉車は当時8200系や9000系からモデルチェンジする構想(現在の1000系)があったが、具体的にその内容がまとまっていなかった。高野線については17m車で増備分を賄うこととし、従前の21001系や22001系との汎用性を考慮した本系列を導入した。高野線の橋本駅までの複線化拡大や小原田車庫の開設を数年後に控えており、この時点では老朽化が進みつつあった21001系の置き換え用としての必要最小限の増備が考えられていた。
ところが、1992年(平成4年)の高野線ダイヤ改正で金剛駅に特急・急行が新たに停車することになり、ズームカー急行への乗客集中から朝ラッシュ時に連日5分以上の遅れが常態化する事態が1年以上も続き対応策が必要となった。ダイヤの遅れを回復できない大きな要因の1つとして本系列と22001系および同形式の更新車・2200系を併結した際の相性の悪さ[2]があったため、すべての17m車を本系列に置き換えて性能を統一することとなった。最終的に、以前の21001系と22001系の合計と同数の64両が新製された。
4両編成は難波駅 - 極楽橋駅間の「大運転」とラッシュ時の難波駅 - 橋本駅間4両増結車として、2両編成は終日にわたって難波駅 - 橋本駅間2両増結車として使用されるほか2編成をつないで4両編成として使用された。1995年(平成7年)に橋本駅までの複線化が完成した際には朝ラッシュ時に設定されたズームカー10両の急行にも使用されるようになった[3][4]。
高野線平坦運用に本格的に進出・朝ラッシュ時の上り急行運用から撤退
2003年(平成15年)5月のダイヤ改正からは快速急行、橋本以北での区間急行、各駅停車にも運用されるようになったが、女性専用車両の導入により朝ラッシュ時の急行運用から撤退したため、本系列の10連運用も消滅した[5]。
大幅な運用減・休車の発生
2005年(平成17年)10月のダイヤ改正後は、難波駅 - 極楽橋駅間の急行は一部を除き系統分割が行われ橋本折り返しとされ、昼間時は快速急行以外の運用はすべて橋本までの運用となった。そして、橋本折り返し急行の大半は6000系列などの20m車に、橋本で接続する極楽橋発着の各駅停車の多くも本形式をベースにした2300系のワンマン運転に変更された。大運転や山岳区間運転の運用が大幅に減った本系列は、平坦区間の各駅停車や区間急行の運用などに就く編成も増えたものの、半数近い車両が余剰となって1年以上の間運転休止となった。
なお、現在でも多客期には、乗車券のみで利用できる高野線の臨時特急にも使用される。
南海線へ転属・普通用で運用復帰
その後、運転休止となっていた編成については南海線に転属し、2007年(平成19年)8月11日のダイヤ変更以後、南海本線・空港線の普通車に運用されるようになった。これにより老朽化の進行している7000系の一部を置き換えた。なお、両線に転用された車両は乗客の混乱防止のため、先頭車前面の助手側窓ガラスに2扉車の大型ステッカーが貼付されている他、各駅に案内設備や停車位置目標標識が設置された。現在に至るまで南海本線・空港線での優等種別運用は存在しない。なお、正月3が日や岸和田だんじり祭・春木だんじり祭が開催される日は、普通車(普通列車)も混雑することなどから運用から外れ、該当電車は全て4扉車が代走する。また、検査で2000系が不足する場合も4扉車による代走となる。2009年10月4日のダイヤ変更で土曜・休日ダイヤでは2000系で運用される普通車の本数が増加している。
比較的新しい車体のうえ、カバー付きの室内灯(蛍光灯)があるなど落ち着いた車内が特徴であり、移動空間としては快適なものとなっている。扉が2つしかなく車体が短い(ほかの車両に比べて1両辺り3m短い)ため、通勤時間帯の4両編成の普通車では日によって使用車両が2000系と他の大型車となる列車がある。
種類
1・2次車
4両編成3本(12両・1次車1本4両/2次車2本8両)が在籍する。ともに2005年秋の高野線ダイヤ改正以来運転休止状態であったが、2007年8月11日の南海線ダイヤ変更から南海本線・空港線にて営業復帰した。
なお、1・2次車と3 - 7次車との差異点として、
- 1次車・2次車ともに当初は赤色のシート。現在は灰色に変更されているが、ともに座席端部の袖仕切りのみが赤色のままである。
- 座席は全席ロングシート。
- ドア付近の座席が5 - 7次車より多く、ドア付近が狭い。
- 側面のビード(溶接痕)が他車に比べて上下ともに1本ずつ多い。
- 当初は右の写真のように帯色は緑の濃淡。旧塗装時代の帯の跡がある。
- 連結部に妻窓がある。
- 当初は側面に高野線シンボルマークを表示。新塗装化と同時に廃止された(3次車以降は最初から表示していない)。
- 2次車はロングシート中央部にある中仕切りの形状が変更され、座布団の奥行きいっぱいまで拡大されている(1次車は途中で止まっている)。
という点があった。現在1次車・2次車の帯には灰色の跡があるが、これは旧塗装時代の名残である。
その1・2次車の内訳は次の通り(すべて4連車)。
- 1次車(1990年2月竣工):2001編成
- 2次車(1990年6月竣工):2002・2003の各編成
- 1・2次車とも1990年竣工だが、1次車は1989年度竣工扱いになっているのと、2次車とでは仕様が若干違うので、こう分けることにする。
この3本は、南海の通勤車両で緑の濃淡で新造された最後の車両である。
1993年度中に3本すべてが新塗色化された。これにより、同年10月要検出場の2002編成(出場と同時に2代目社章を取り外してCI章に取り替え)を最後に、登場以来長くても約3年4ヶ月見られた緑の濃淡の帯色はついに見られなくなってしまった。
3・4次車
2両編成4本(8両)が在籍する。このうち、3次車の2031・2032編成は1・2次車と同様に2005年秋の高野線ダイヤ改正以来運転休止状態であったが、2007年8月11日の南海線ダイヤ変更にて南海本線・空港線にて営業復帰した。
同時期に新製された1000系と同一の車体カラースキームを採用したが、同系列はステンレス製にも拘らず全面塗装されたのに対し、本系列は1000系と同一デザインの帯のみ貼付している。さらに4次車はCI導入後に新製されたため、車体の「NANKAI」ロゴはCIと同一のフォントとなっている(3次車も後に同仕様化)。座席も同系列と同様にバケット式ロングシートを採用したが、クロスシートの設置は見送られている。ドア付近の座席数は1・2次車と同じである。また車いすスペースを設置している。さらに4次車では前面・側面とも車両番号のフォントがやや小さくなったほか、製造銘板プレートなどでよく見られる製造年表示をこれまでの年号表示から西暦表示に変更している。このグループからは併せて1000系などと同様に、列車種別選別装置の更新準備工事を行っている[6]。それのみならず、列車種別・行き先表示の設定も、このグループからは1.2次車にあったデジタル式のスイッチを廃止して、1000系で採用されたモニタ表示器で行うようになり(そのため鴨居点検蓋上部には、案内表示器設置の準備工事もなされた)、以降の増備車にも反映された。
その3・4次車の内訳は次の通り(すべて2連車)。
- 3次車(1992年11月竣工):2031・2032の各編成
- 4次車(1994年4月竣工):2033・2034の各編成(この編成以降1972年6月1日制定以来使われ続けた従来の2代目社章を廃止してCI章を採用、1 - 3次車も後に取り替え)
5 - 7次車
4両編成と2両編成の合計44両が在籍し、本系列の大半を占める最大勢力である。このうち2042・2043編成は2005年秋の高野線ダイヤ改正以降運転休止状態となり、2042編成は羽倉崎検車区に回送されて疎開留置の状態であったが2006年12月から他の編成に先駆けて本線で試運転を開始、その後他の運転休止編成(1 - 3次車)も相次いで試運転を開始し、2007年8月11日の南海線ダイヤ変更にてすべての運転休止編成が南海本線・空港線に営業復帰した。なお、南海線転用の本系列はすべてが普通列車運用限定となっている。
車端部にクロスシートを設置している。このうち中間部は3・4次車同様のロングシートだが、ドア付近の座席を減らした分立席スペースを広く確保している。この編成以降連結面の妻窓は廃止され、列車種別選別装置は最初から双方向デジタル伝送(トランスポンダ)方式を採用した(1 - 4次車も同時期に同装置を更新)。
なお、2046編成は一時期の塗料の配備の問題でスカートが灰色から白色に変化していたが、しばらくしてから元に戻った。また、2043編成は2002年3月28日に極楽橋発難波行急行の運用中に紀伊細川駅 - 紀伊神谷駅間で早朝に発生した土砂崩れで積もった土砂に乗り上げてスカートと床下機器、パンタグラフ1基を破損していた。
2007年10月より2044編成が「花のラッピング電車」として、シャクナゲ、サルスベリなど沿線の花を沿線の小学校に通う小学生200人がデザインした「花の絵」を部分ラッピングして出場し、運転を継続してきたが、2011年3月を以ってこのラッピングは解除された[7]。
なお南海本線に転属していた2042編成は2012年9月24日付で南海線住ノ江検車区から高野線小原田検車区へ転属し、古巣の高野線へ「里帰り」した[8]。
その5 - 7次車の内訳は次の通り(太字が4連車)。
- 5次車(1995年5月竣工):2035 - 2039の各編成・2041編成(計14両)
- 6次車(1996年8月竣工):2040編成・2042 - 2044の各編成(計14両)
- 7次車(1997年7 - 8月竣工):2021 - 2024の各編成・2045・2046の各編成(計16両)
脚注
- ↑ 南海では故障時の冗長性確保を重視しており、補助的な機器であっても複数搭載する編成を組むことを原則としている。特に本系列が乗り入れる山岳区間においては制動装置の故障時のバックアップは不可欠である。このことは、山岳区間でのワンマン運転開始時に余剰気味だった本系列の2両編成があるにもかかわらずわざわざ2300系を新造した理由でもある。
- ↑ 力行特性の著しい相違(22001系を含めた従来型ズームカーはスイッチ操作により山岳区間と平坦区間で力行性能を変更する仕様であったが、本系列は両区間を同一性能で走行可能である等)に加え、平坦区間における高速走行時では高速域の加速性能の劣る22001系が本系列の足を引っ張る形となってしまっていた。
- ↑ 従来の計画では橋本までの複線化が完成した暁には橋本までの平坦区間は20m車・山岳区間は17m車として運行区間を分割する計画であったという。しかしこの時点では17m車の平坦区間運行を置き換えるための20m車は捻出できず、17m車に10両を組ませることとなった。
- ↑ この時点では21001系・22001系・2200系もまだ「大運転」運用に残っており、4系列混用で10両を組んでいた。
- ↑ このころになると乗客減のため17m車の平坦区間運行を置き換えるための20m車の捻出が可能になっていた。
- ↑ これはその準備工事を行っていなかった他の既存車両も共通で、従来の列車種別選別装置が使用後20年近く経過し、設備機器の老朽化までもが著しくなってきたためである。南海線では空港線開業、高野線では橋本までの複線化開業を目処にそれぞれ更新を実施した。
- ↑ 南海電鉄 高野線 こうや花鉄道 天空|こうや花鉄道プロジェクト/これまで実施したプロジェクト 2段目の「花のラッピング電車」の項目より- 南海高野ほっと・ねっと
- ↑ 「車両データバンク」、『鉄道ファン』2013年8月号特別付録、交友社、2013年。このほかにJTBパブリッシング刊「キャンブックス『南海電車』」(ISBN978-4-533-09335-7 C2065)113頁でも簡素表記されている。