佐藤為信
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テンプレート:出典の明記 佐藤 為信(さとう ためのぶ、天文11年(1542年) - 天正19年(1591年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。相馬氏の家臣。佐藤好信の嫡男。官名から佐藤宮内、佐藤紀伊とも称す。小斎佐藤家の祖。子孫に戊辰戦争期の佐藤宮内がいる。
生涯
小斎城代として重用されたが、父・好信が讒言により減封され、果ては憤死に追い込まれたことを恨みに思い、讒言した家臣を討って相馬氏から伊達氏に寝返った。その際、利を求めて寝返ったとの風評が出る事を嫌い、伊達氏よりの加増の申し出を拒否。代わりに伊達氏の一族として迎え入れられている。
佐沼合戦における佐沼城攻略の際に、攻城の突破口となる沼地の浅瀬を進行中、兜の八幡座(兜の頭頂部にある髷を出す穴)を射抜かれ討死した。