トーベ・ヤンソン
テンプレート:Infobox 作家 トーベ・マリカ・ヤンソン(Tove Marika Jansson [tuːve mariːka jɑːnsɔn]、女性、1914年8月9日 - 2001年6月27日)は、フィンランドのヘルシンキに生まれたスウェーデン系フィンランド人の画家、小説家、ファンタジー作家、児童文学作家である。
略歴
スウェーデン語系フィンランド人彫刻家の父ヴィクトル・ヤンソンとスウェーデン人画家の母シグネ・ハンマルステン・ヤンソンの長女(姉弟は弟が2人ペル・ウーロフ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン)として生まれ、自然に絵を覚えた。15歳で政治風刺を中心とする雑誌『ガルム』の挿絵を描き始める。10代から20代にかけてはストックホルムの工芸専門学校、ヘルシンキの芸術大学、パリの美術学校などへ通った。代表的なキャラクターのムーミン・トロールは、小説としての『ムーミン』シリーズの執筆(1939年、発表は1945年)よりも早く1944年頃から『ガルム』誌に挿絵として登場する。1966年に国際アンデルセン賞作家賞、1984年にはフィンランド国民文学賞を受賞。2つの自画像の油絵があり、20代の‘タバコを吸う娘’と60代の‘自画像’である。トーベはお酒とタバコが若い時から大好きでアルコールの強いお酒を昼間から飲みながら仕事をしていたが、酔い潰れる事も全く無く、ニコチンの含有率の高いタバコを好み[1]、絵を描きながら、または漫画の作画や小説を書きながら美味しそうにシガレットを吸っていたのである。
日本ではあまり知られていないが、一般向けの小説(トーベ・ヤンソン・コレクションとして刊行)も多く書いている。それはムーミンシリーズ誕生60周年の2005年からあいついで文庫本(『トーベ・ヤンソン短篇集』・『誠実な詐欺師』)として発刊され、日本でも再評価の熱が高まっている。作家として世界的に有名であるが、本国フィンランドでは画家としての評価も高く、特にフレスコ画の手法を用いた国内の公共建築の壁画など多く作品を残している。
私生活でのパートナーはグラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラ(Tuulikki Pietilä、1917年2月18日 - 2009年2月23日)。彼女は、ムーミン谷博物館に納められた数多くのムーミンフィギュアやムーミン屋敷の制作でも知られ、作品『ムーミン谷の冬』に登場するトゥーティッキー(おしゃまさん・おでぶさん)のモデルともなっている。
また、二人が30年近く夏を過ごし、多くのムーミンシリーズを含む作品が生み出されたバルト海のクルーヴハル島での生活は、1993年映画『Travel with Tove』、1996年、クルーヴハル島の記録『島暮しの記録』(トゥーリッキの挿し絵)出版、1998年クルーブハル島での生活の映画『Haru - the island of the solitary』に垣間見ることができる。
1971年と1990年それぞれフジテレビと、テレビ東京でのアニメーション放映の関係で招待され2度、来日している。
年表
- 1914年: フィンランドのヘルシンキに生まれる。
- 1930年-1933年: ストックホルム芸術学校に在籍。
- 1933年-1937年: フィンランド芸術アカデミー美術学校に在籍。なお『ガルム』誌には 1930年代から1953年まで掲載。
- 1945年: 『小さなトロールと大きな洪水』を発表。ムーミンシリーズ最初の作品。
- 1952年: 『ムーミン谷の彗星』『楽しいムーミン一家』の2作品が英訳される。
- 1954年: 英イブニング・ニュース紙でムーミンコミックスの連載開始。トーベ・ヤンソンが描いたのは 1959年までであり、スウェーデン語で書かれており、ラルスが英語に訳し、また、物語の案もラルスがかなり出していたのであり、母親のシグネの「コミックスは、ラルスが書く様に」との言葉があり、その後は末弟のラルス・ヤンソンが引き継ぎ 1975年まで連載していた。
- 1966年: 国際アンデルセン賞を受賞。
- 1970年: 『ムーミン谷の十一月』を発表。小説としてのムーミンシリーズはここで終了し、このころから別の小説の執筆を始める。
- 1984年: フィンランド国民文学賞を受賞。
- 2001年: ヘルシンキにて逝去。86歳没。
著作リスト
ムーミン関連小説
- 『小さなトロールと大きな洪水』 (1945年, Småtrollen och den stora översvämningen)
- 『ムーミン谷の彗星』 (1946年, Kometjakten)
- 『楽しいムーミン一家』 (1948年, Trollkarlens hatt)
- 『ムーミンパパの思い出』 (1950年, Muminpappas bravader)
- 『ムーミン谷の夏まつり』 (1954年, Farlig midsommar)
- 『ムーミン谷の冬』 (1957年, Trollvinter)
- 『ムーミン谷の仲間たち』 (1962年, Det osynliga barnet och andra berättelser)
- 『ムーミンパパ海へいく』 (1965年, Pappan och havet)
- 『ムーミン谷の十一月』 (1970年, Sent i November)
ムーミン関連絵本
- 『それからどうなるの?』 (1952年, Hur Gick Det Sen?)
- 『さびしがりやのクニット』 (1960年, Vem ska trösta Knyttet?)
- 『ムーミン谷へのふしぎな旅』 (1977年, Den farliga resan)
- Skurken i Muminhuset(1980年, 未邦訳「ムーミン家に来た悪党」)。(ぺル・ウーロフ・ヤンソンの写真にトーベが文を書いた、写真絵本。)
ムーミン・コミックス
- ムーミンまんがシリーズ(1.とってもムーミン)他9巻(講談社)1969年。ラルスの分も載っているが、ラルスの名前の記載は無い。草森紳一解説。訳者不明。
- ムーミンの冒険シリーズ (福武書店・ベネッセ)1990年。トーベ&ラルス・ヤンソン。野中しぎ訳。
- ムーミン・コミックス(筑摩書房)2001年。トーベ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン。冨原眞弓訳。
その他の小説
- 『聴く女』 (1971年, Lyssnerskan)
- 『少女ソフィアの夏』 (1972年, Sommarboken)
- 『太陽の街』 (1974年, Solstaden)
- 『人形の家』 (1978年, Dockskåpet och andra berättelser)
- 『誠実な詐欺師』 (1982年, Den ärliga bedragaren)
- 『石の原野』 (1984年, Stenåkern)
- 『軽い手荷物の旅』 (1987年, Resa med lätt bagage)
- 『フェアプレイ』 (1989年, Rent spel)
- 『クララからの手紙』 (1991年, Brev från Klara och andra berättelser)
- Meddelande. Noveller i urval 1971-1997 (1998年、未邦訳)
自伝
脚注
- ↑ 母シグネ・ハンネマルステン・ヤンソンも、父ヴィクトル・ヤンソンもタバコを吸っていた。そしてトーベの自画像に‘タバコを吸う娘’という油絵を残している。海外では、子供の喫煙が禁止されていなかった国もあったので、芸術家でスタートしたトーベが、20歳より前からタバコを吸い始めていたとしてもその当時は違法でもなく、現在でも子供がタバコを吸っている国も有り、中には羽斑蚊=ハマダラカ;マラリア蚊を寄せ付けない効果が有るとして、政府から喫煙を推奨され、幼児の時から母親が喫煙を子供に行わせている国もあり、ニコチン中毒(ニコチン依存症)、一酸化炭素、ベンゾピレン、ホルムアルデヒドなどでの発癌の原因の危険性よりも、マラリアの方が怖く危険であるとされ、日本で喫煙所に張られている、青い丸に煙を上げているタバコのマークが病院に張られている国もある。
外部リンク
- ムーミン公式サイト
- ムーミンワールド テンプレート:Fi icon
- タンペレ市立美術館(ムーミン谷博物館)