長野中央通り

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長野中央通り(ながのちゅうおうどおり)は、長野市中心市街地を南北に縦貫する道路の通称。長野駅前から善光寺までをほぼ一直線につなぐ長野市街地の目抜き通りであり、善光寺の表参道でもある。長野駅前・新田町交差点間が長野県道32号長野停車場線、新田町交差点・善光寺交差点間が長野市道長野中央通り線である。一般に中央通りと呼ばれる。

概要

近年、長野駅付近の商業集積および、善光寺付近の門前町としての景観整備が進む一方で、中央通り中間部の衰退が著しく、この付近の活性化が長野市の重要な市政課題のひとつである。また長野市が進める交通セルにおけるセル区画街路としても重要な位置付けの道路である。このように長野市の都市政策上きわめて重要な道路であるが、道路そのものは長野駅・新田町間が長野県道32号長野停車場線で、道路管理者は長野県である。そのため、道路本体の長野市への移管を求める意見がある(新田町・善光寺間は以前長野県道399号長野豊野線であったが、長野市への移管が実現している)。

片側1車線と決して大きくはなく、市街地の幹線道路としての機能を移すため長野大通りが建設され、交通セル構想に則った道路整備により交通圧力を低減している。市街地に位置することもあり、パーキングチケットを設置するなど、側道は適度な広さに保たれつつ人間スケールの通りとして人通りの賑わいを生み出すよう工夫されている。

市街地の目抜き通りとして、また善光寺参道として「歩いて楽しめる通り」が目標であり、交通セル方式の実施と併せてトランジットモール化の計画があるが、現状はセル環状道路の完成により自動車交通が削減され、バス交通中心のセミモールといった形態になっている。

末広通りとあわせて、全線が駐車監視員活動の最重点路線となっている(長野中央警察署管内)。

沿道風景

  • 歩道上には「十一丁」などと刻まれた石碑が建っているが、これは1888年明治21年)に長野駅を開設する際、その位置を阿弥陀如来の四十八願の内すべての願を集約する王本願とされる第十八願に因み「善光寺から18(≒1.8km)」と定め、長野駅から善光寺までの間1丁(≒110m)おきに碑を置いたものである。大門町付近の「三丁」碑から始まり、「十八丁」碑は長野駅コンコースにある。
  • 戦後から中央通り沿いには48基(24対)の灯籠が建っていたが、歩道部分へのアーケード設置のため撤去されていた。アーケードが撤去された現在、2009年平成21年)の善光寺前立本尊御開帳に向けて灯籠の復元事業が進められており、同年1月時点で28基の灯籠が設置されている。灯籠ヒノキ製で、明かり部分には2008年(平成20年)2月に開かれた第5回長野灯明まつりでの「ゆめ灯り絵展」入賞者の切り絵作品がはめこまれている。
  • 新田町交差点以北では門前町としての修景に力が入れられており、高層ビルについても低層部は屋根とし、高層部は圧迫感のないよう道路に対して45°の角度で建てられている。
  • 大門交差点以北では、歩道部だけでなく車道部についても石畳敷になっている。
  • 善光寺交差点に長野市道路元標が置かれている。
  • 善光寺まで1.4kmにわたり続く街路樹はカツラであるが、これは善光寺本堂の柱にカツラが用いられていることに由来する。

沿革

政策的位置付け

長野市街地の骨格として、また商業軸としても位置付けられている。

  • 長野駅地区
    商業集積地区として賑わいの演出を中心に整備されている。
  • 長野銀座地区
    都心再整備を目的とした市街地再開発地区となっており、現在事業が進行している。
  • 権堂地区
    権堂アーケード商店街と交差し、商業集積地区として再整備が進められている。
  • 大門地区
    善光寺の門前という立地から、店舗・住宅の意匠を和風で統一する修景が進められている。

交差する道路

沿道

外部リンク

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