岡田眞善

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月15日 (火) 19:22時点におけるTogaishi (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

岡田 眞善(おかだ しんぜん、1973年7月16日 - )は、東京都出身のラジオDJであり俳優。プロカメラマン。旧芸名は岡田 真善

来歴・人物

人物

父の岡田眞澄、母の藤田みどりも共に俳優、伯父のE・H・エリックもタレントという芸能一家に長男として誕生。父方祖母はデンマーク人。祖父は画家の岡田稔、従姉はタレント岡田美里、従姪はその娘でタレントの栗原菊乃小春姉妹。かつて、岡田美里の夫であった堺正章はかつての義従兄にあたる。

玉川大学芸術学部演劇学科在学中より、舞台を中心に本格的に活動を開始。卒業後、大手アパレルメーカーに勤務しつつ、女性雑誌『saita』の第一回プレミアムボーイに選出される。その後、J-WAVEでFeel the heeling、NEXT WAVEやJ's callingフライデーなどの番組、そして、『白雪姫』『シンデレラ』『リトルナイトミュージック』『横浜行進曲』『バタフライはフリー』など、ミュージカル舞台を中心とした俳優活動の他、FMヨコハマラジオ番組『モーニングステップス』のDJとしても活躍。その後、TOKYO FMの「ANNAのHAPPY-GO-LUCKY」や「サウンドエッセイ」、魔裟斗との『キングスピリッツ』などの番組を手がける。

ラジオでは政治、報道からバラエティーまで生放送でこなせる存在になっている。辛口なコメントは賛否両論あるものの、「一人の意見」としての立場を明確にし、流されない視点での切り口は貴重。

幼少時に伯父のエリックから教わったクルージングの実力は高く、1998年世界帆船レースに日本代表選手として出場し、世界第2位で、クラスA準優勝という成績を残し、日本のヨット界に貢献。

中学校時代に『仮面ノリダー』が始まり、ノリダーごっこのファンファン大佐役として本人いわく『労災』というぐらい同級生に殴られる日々を送っていたという。[1]

俳優の細川俊之には子供の頃から我が子のように世話になり「本当の父親」と言われるほど慕っており岡田真澄と共演したアニメ映画版『あしたのジョー』2作品を見た時はひどく複雑な心境だったという。[2]

来歴

1990年、従姉・美里が長従姪・菊乃を出産。高校生になって初めて従叔父となる。

1994年、父・眞澄が母・みどりと家族へ虚偽の離婚理由を述べ、離婚。父・眞澄と絶縁。(文藝春秋より)約半年前に従姉・美里が次従姪・小春を出産する。

1995年、父・眞澄が日本航空客室乗務員だった26歳年下の女性と結婚し、1998年に25歳年下の異母妹が誕生。義母は12歳年上で従姉・美里と同学年である。

2000年、舞台の全国公演のツアー中に、伯父・エリックがハワイで死去。

2004年には次弟が父・眞澄が出演予定だった舞台を、代役のきかない稽古終盤になっていきなり降板するという事態で裏切られ、制作側の人間としてその責任をとるために自殺。(文藝春秋より)

2006年、映画『BLACK KISS』で「丸貝の木村勇」の役を果たす。同年5月29日に父・眞澄が死去。

2007年から事務所移籍に伴い、芸名の「真」の字が旧字体の表記「眞」に変更される。

2010年、(株)フェザンレーヴに事務所移籍。

2011年、1966年6月30日日本武道館で行われたビートルズの日本公演をオマージュにした、斉藤和義やさしくなりたい」のPVに、同公演で司会進行を務めた伯父のエリック役で出演。

出演番組

テレビ番組

テレビドラマ

映画

ラジオ番組

舞台

  • シャンブルマンダリン(アンソニー)
  • テニアンアイランド(主演、マックス中尉)
  • 白雪姫(王子)
  • As you like it お気に召すまま(ジェイキス)
  • 横浜行進曲(ウレ公)
  • そして誰もいなくなった(マーストン)
  • 7本の色鉛筆(ヨタ息子)
  • リトルナイトミュージック(ヘンリック)
  • バタフライはフリー(主演 ドン・ベイカー)
  • サウンドオブミュージック(ロルフ)
  • 株式会社893(2011年9月7日-11日、赤坂レッドシアター)

PV

関連項目

脚注

  1. 眞善のなんか気になるっ2013年3月24日放送分で発言
  2. キニナル2013年10月20日放送分。またこの時真澄を父と呼ばず「岡田真澄という人間」と呼んでいた。

外部リンク