南学
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南学(みなみまなぶ)
南学(なんがく)
南学(なんがく)とは、日本では土佐における朱子学をいう。海南学派とも呼ばれる。室町時代末期(天文年間)に儒者・南村梅軒が土佐で朱子学を講じたことを祖とする。吸江庵の忍性、宗安寺の如渕、雪蹊寺の天質、吉良宣経などに伝えられ、更に天質に学んだ谷時中が江戸時代初期に南学の学風を固めた。谷時中の門人に野中兼山・小倉三省・山崎闇斎らがいたが途絶。山崎闇斎の門弟となり、闇斎の没後はその弟子浅見絅斎に師事した谷秦山が、南学を復興させた。
この南学は朱子学の単なる解釈学ではなく、義理名分と実践を重んじたものであり、土佐藩学の中心であった。
南村梅軒が講義した講堂跡と推測される高知県高知市の弘岡中薬師堂付近に、『南学発祥の地』の石碑が建つ。