高野下駅
高野下駅(こうやしたえき)は、和歌山県伊都郡九度山町にある、南海電気鉄道高野線の駅。
駅構造
交換設備を備えた島式1面2線のホームを持つ盛土駅である。ホーム有効長は17m車4両分。難波駅寄りには事業用車両の留置線があり、西側には昔の貨物ホーム跡が残っている。臨時特急停車駅でもあった。
駅舎はホームの東側にあり、ホームとは構内踏切で連絡している。自動券売機は設置されておらず、窓口で乗車券を購入する。また、自動改札機はスルッとKANSAI及びPiTaPaに対応しているものの、開閉式となっていない。
1 | テンプレート:Color高野線(下り) | 高野山方面 |
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2 | テンプレート:Color高野線(上り) | 橋本・なんば方面 |
日中の一部の各停と夜間の急行は当駅折り返しになり、直接なんば方面行ホーム(2番線)に入線する。また、折り返し列車停車中に難波方面の特急「こうや」が本来下り線である1番線を通過することもある。
発車ベルを備えており、折り返し列車が出発する際はベルが鳴る。当初は難波方面が電鈴音、極楽橋方面がブザー音だったが、現在は両方向共電子音に変えられた。
当駅発車前に運転士は電気制動切り放しを行う。乗務員室制御板には「電制切放」と記されている。スイッチをON・OFFするだけで、なんば行発車前に切り放しON、極楽橋行発車前に切り放しOFFにそれぞれ切り換えている。
「高野下」という駅名から、鋼索線乗り換え駅の極楽橋駅と勘違いして降車する客が後を絶たないため、車内放送や駅構内の掲示物で注意を促している。
当駅以南は50‰の急勾配と半径100m以下の急カーブのため、極楽橋駅までは10.3kmしかないにも拘らず、最高速度も33km/hまでに抑えられている事から、平均約25分の所要時間である。
2009年3月、「こうや花鉄道プロジェクト」の一環として、2番線ホームの線路際に花屏風が設置された。当駅には12種類・約790株の花が植えられている。
利用状況
2012年度の調査結果では、1日あたりの平均乗降客数は115人。この数字は南海の駅全体では100駅中94位、高野線の駅(難波駅 - 岸里玉出駅間含む)としては42駅中37位である。
駅周辺
駅の東を不動谷川が流れている。国道沿いに昔ながらの集落が見られる。駅舎の真下にある道路はかつて存在した高野山森林鉄道の路線を整備したものである。
歴史
- 1925年(大正14年)
- 1928年(昭和3年)6月18日 - 高野山電気鉄道が当駅 - 神谷駅(現・紀伊神谷駅)間で開業。接続駅となる。
- 1932年(昭和7年)4月28日 - 高野山電気鉄道と南海鉄道高野線の直通運転開始。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道と高野山電気鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)
- 3月15日 - 高野山電気鉄道が社名変更(南海電気鉄道)。近畿日本鉄道・南海電気鉄道の駅となる。
- 6月1日 - 旧南海鉄道の路線譲渡により、南海電気鉄道単独の駅となる。
- 2009年(平成21年)3月 - 2番線ホーム線路際に「花屏風」を設置。
- 2010年(平成22年)12月8日 - 「こうや花鉄道プロジェクト」及び高野線全線開通80周年を記念し、ホームに「南海思い出ミュージアム」を新設。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 終日無人駅化
南海思い出ミュージアム
2010年12月8日、「こうや花鉄道プロジェクト」及び高野線全線開通80周年記念事業の一環として、当駅のホームに「南海思い出ミュージアム」[3]が新設された。全国の大手私鉄の駅の中で初の試みである。
駅舎の駅名板が昭和初期のデザインに、ホームの駅名標がこうや花鉄道タイプのものにそれぞれ置き換えられた他、展示ツリーと展示ケースが設置された。展示ツリーには、国内外5社の古レールを固定して展示している。また、展示ケースには、レールに固定された犬釘や実際に車両に取り付けられていた社章マークなどを展示している。この他、ホーム上屋に3ヶ所ある古レールを読みやすくするために研磨すると共に、刻印されている内容も表記される様になった。
隣の駅
- 南海電気鉄道
- テンプレート:Color高野線
- テンプレート:Color快速急行・テンプレート:Color急行・テンプレート:Color各駅停車
脚注
- ↑ 開業を報じた「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年8月10日(国立国会図書館デジタル化資料)には「九度山高野山間…」、哩程を示す駅名にも「高野山」とあるが、南海電鉄公式サイトの高野下駅のページでは開業時「椎出駅」とある。
- ↑ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年9月17日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ テンプレート:PDFlink