キリストの降誕
テンプレート:Jesus キリストの降誕(キリストのこうたん)とは、イエス・キリストの誕生のこと。英語で大文字の Nativity は、キリストの降誕を指すことが多い。
福音書における記述
イエスの降誕は『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』のみに書かれている。それによれば、イエスはユダヤの町ベツレヘムで処女マリアより生まれたという。
『マタイ福音書』では、ヨセフとマリアがベツレヘムに居た経緯の詳細は記述されていないが、『ルカ福音書』の場合は、住民登録のためにマリアとともに先祖の町ベツレヘムへ赴き、そこでイエスが生まれたとある。ベツレヘムは古代イスラエルの王ダビデの町であり、メシアはそこから生まれるという預言(『ミカ書』5:1)があった。
『ルカ福音書』では、ベツレヘムの宿が混んでいたために泊まれず、イエスを飼い葉桶に寝かせる。そのとき、天使が羊飼いに救い主の降誕を告げたため、彼らは幼子イエスを訪れる。
『マタイ福音書』では、東方の三博士が星に導かれてイエスを礼拝しに来る。
降誕の情景
『ルカ福音書』は「飼い葉桶に寝かせた」と書いている。
馬はこの場には居らず、代わりに牛とロバが居る。福音書には根拠がなく、『イザヤ書』(1:3)から採られている。また、西方教会では小屋(日本語では「厩」もしくは「馬小屋」と書くが、家畜小屋と考えたほうが良い)としての伝承が通例であるが、正教会では洞窟と伝承され[1]、イコンにもそのように描かれる。新約外典『ヤコブ原福音書』は洞窟で産まれたと書いている。
キリスト降誕の情景は上記を基本に描かれるが、カトリック教会やその影響の強い国々では人形でこれを再現する。多くはミニチュアであるが、実物大の人形と小屋が仮設されるところもある。
東方の三博士は、救世主イエス・キリストの降誕を見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげたとされる。ローマ支配下で親ローマ政策をとったユダヤのヘロデ大王は、新たなる王(救世主)の誕生を怖れ、生まれたばかりの幼子を見つけたら自分に知らせるようにと博士たちに頼むが、彼らは夢のお告げを聞いていたのでヘロデ王のもとを避けて帰ることができたといわれている。
降誕祭
キリスト教徒のあいだでは、キリスト降誕祭として毎年12月25日クリスマスが祝われる。イエスの誕生日は『新約聖書』には記されていないことから、元来は冬至祭でなかったかといわれている。
降誕の場面を描いた作品
- 『ベン・ハー』 - 冒頭で、イエス・キリストの降誕が描かれている。その後劇中に何度かイエス・キリストが登場するが、顔は写されておらず、全て後姿である。
生まれた場所・系譜について
高等批評や自由主義神学の聖書学においては、ベツレヘムで生まれたという記述は、預言に適合させるために作られた伝説、神話であると考えられている。こうした立場からは、『ヨハネによる福音書』においては、イエスはガリラヤのナザレの出身であると記されており、『マルコによる福音書』『マタイ福音書』『ルカ福音書』のいずれにおいても、イエスがダビデ王の子孫であることは否定されているとされる。この立場において、イエスは誕生物語以外の場面では一貫して「ナザレ人」「ナザレ出身者」の術語が用いられており、これはすべての福音書において一致していることを以て、実際に生まれた場所はベツレヘムではなかったことの証左とされることがある[2][3]。
その一方、伝統的な信仰を保持する正教会、カトリック教会、保守的な聖書信仰の立場などにあるプロテスタントなど、聖書の記述を真実ととらえる立場もある[4][5][6][7][8]。前述の高等批評の立場では『マタイ福音書』はダビデ王の子孫であることは否定しているとするが、伝統的な信仰を保持する立場からは、まずマタイ福音書の冒頭(1章1節)にある「ダビデの子」という表現を根拠に、イエスをダビデの子孫とする。ヨハネス・クリュソストモス(金口イオアン)、ブルガリアのフェオフィラクトといった古代・中世の聖人達も、旧約における預言(イザヤ書11章ほか)との整合性をもってこれを強調してきた。なお「子」という表現は新約聖書において「養子」「子孫」の意味にも用いられており、必ずしも文字通りの血縁・親等を示すものではない(聖書中でイエスは通常の夫婦関係によらず、聖霊によってみごもったとされている)[9]
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
- ↑ ハリストス降誕祭の祈祷書において、「洞(ほら)」で出産が行われた旨が詠われている。
- ↑ 八木(1968)pp.84-85
- ↑ 荒井(1974)p.27
- ↑ 日本ハリストス正教会教団『正教要理』46頁、昭和55年12月12日
- ↑ ベツレヘム:それは「パンの家」 カトリック清水教会
- ↑ 『新聖書辞典』いのちのことば社
- ↑ ケアンズ『基督教全史』聖書図書刊行会
- ↑ 『聖書の権威』日本プロテスタント聖書信仰同盟
- ↑ 掌院ミハイル『馬太福音書註解 全』1頁 - 3頁、正教会編集局、原著1870年刊行、訳書:明治二五年版(再刊)