吉行あぐり
テンプレート:BLP unsourced 吉行 あぐり(よしゆき あぐり、1907年(明治40年)7月10日 - )は、岡山県岡山市出身の日本の美容師。本名・吉行 安久利(読み同じ)[1]。
来歴
岡山県立第一岡山高等女学校在学中の1923年(大正12年)に作家・吉行エイスケと結婚する。日本の美容師の草分け山野千枝子のもとで2年間修行、1929年(昭和4年)に独立して山の手美容院を開店。1940年(昭和15年)、夫・エイスケと死別する。その後、辻復と再婚する。戦後は1952年(昭和27年)に東京・五番町(市ヶ谷駅前)に吉行あぐり美容室を開店。90歳を過ぎても、馴染みの客に限定して美容師として仕事を続けていたが、2005年(平成17年)に閉店。日本の美容師免許所持者の中では最高齢である。2003年(平成15年)に脳梗塞で倒れ入院。リハビリの末、身の回りのことを一通りこなせるまでに回復したが、2006年(平成18年)に骨折し、車椅子生活を余儀なくされる。以後、娘の和子や介護者らに支えられ生活をしている。新聞は2紙購読し時折エッセイや俳句・短歌などを記すなど、100歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)としている。2013年(平成25年)10月25日放送分のNHK総合テレビ『あさイチ』内「プレミアムトーク」に出演した和子が「現在は自分では動けないが、頭はしっかりしていて、『ごちそうさん』(和子が語りを担当)を視聴している」とこの近々におけるあぐりについて語った。
人物
1997年(平成9年)上期のNHK連続テレビ小説『あぐり』のモデルでもある。彼女自身の半生記『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』が原作となっている。
最初の夫は吉行エイスケ。吉行エイスケの死後、辻復と再婚した。吉行エイスケとの間に長男・吉行淳之介(小説家)、長女・吉行和子(女優)、次女・吉行理恵(詩人、小説家)がいる。長女以外は故人。
姪(姉の娘)は医師の島村喜久治の妻・ピアニストの千枝子。その夫婦の息子が地震学者の島村英紀。
90歳を越えてから海外旅行を頻繁に行うようになった(和子とともに)。
著書
- 『梅桃が実るとき』文園社 1986年 のち文春文庫
- 『母・あぐりの淳への手紙』文園社 1998年
- 『あぐり95年の奇跡』集英社be文庫 2002年
- 『「あぐり美容室」とともに 94歳の美容師、心は老いずがモットーです。』PHP研究所 2002年 のち文庫
- 『あぐり流夫婦関係・親子関係 しなやかに生きて96歳』素朴社 2003年
共著など
- 『生きること老いること』新藤兼人共著 朝日新聞社 2003年
- 『あぐり白寿の旅』吉行和子共著 集英社 2006年 のち文庫
- 『吉行理恵レクイエム「青い部屋」』編 文園社 2007年
テレビ出演
- 「あぐり」(1997年(平成9年) NHK連続テレビ小説) あぐり役:田中美里
- ドキュメントにっぽん 「吉行あぐりと8人の客」NHK (1997年9月12日)
- 知ってるつもり?! 「吉行あぐり」(日本テレビ)(1997年11月16日)
- 第48回NHK紅白歌合戦(1997年(平成9年)12月31日、NHK) 審査員
- 人・旅わくわく(CBC)(1999年1月16・23日)
- サンデープレゼント 吉行あぐり・和子母娘 感動!ネパール大冒険(テレビ朝日)(2000年2月13日)
- いつみても波瀾万丈(日本テレビ)(2002年9月15日)
脚注
- ↑ 旧姓:松本、結婚によって吉行、再婚し辻、辻復没後再び吉行姓へ戻る。