斉藤安弘
テンプレート:基礎情報 アナウンサー 斉藤 安弘(さいとう やすひろ、1940年8月21日 - )は、ニッポン放送元アナウンサー。通称は「安弘」を音読みさせたアンコー、アンコーさん。
概要
神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜平沼高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。
1964年にニッポン放送入社。アナウンサーの同期には宮田統樹がいる。1967年にスタートした看板番組「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティとして一躍有名になった。同期入社でもある前社長の亀渕昭信と組んだカメ&アンコーとして人気を集めて、「水虫の唄」を大ヒットさせるなどラジオ業界に深夜放送ブームを作った。
「オールナイトニッポン」降板後は「朝はおまかせアンコーです!」などワイド番組を担当したが、1986年にニッポン放送管理部へ異動、アナウンサー職を離れた。1992年からはフジサンケイグループ傘下の株式会社彫刻の森の管理部長兼常務取締役を務め、2003年に退任。
同年、再びニッポン放送アナウンサーに復帰。斉藤のように長年アナウンス職を離れていた人物のアナウンサー復帰は極めて異例だが、当時同局の代表取締役社長を務めていた亀渕の要請によるものとされる。
7月には「ブロードバンド!ニッポン」を担当、新番組「オールナイトニッポンエバーグリーン」立ち上げに到る。
復帰当初からしばらくの間、アナウンサールームのホームページで斉藤が紹介されていなかったが、2006年4月1日から正式に登場するようになった。同番組は録音放送が多いが、木曜日は当直も担当するため生放送となる場合があり、また時間前の番組で臨時ニュースが入ったり、ショウアップナイターが早く終了して残り時間をスタジオからの放送で埋める場合には、キャスターや臨時のパーソナリティとして登場することもある。
2005年3月20日NHKの深夜番組である「ラジオ深夜便」スペシャル(NHK80周年・深夜便15周年記念特番)「ビッグパーソナリティー・深夜の開放者たち」と題した番組にパネリストとして出演。
2006年1月31日発売の白夜書房刊行「笑芸人編ラジオDEパンチVOL.02」には元・TBSアナウンサーの榎本勝起との対談が掲載され、特別付録CDには特別番組「エノさんとアンコーさんのラジオ DE パンチ」が収録されている。
2009年3月31日をもって、ニッポン放送のアナウンサールームを定年退職した。以降も嘱託社員として木曜日の当直を引き続き担当し、金曜日の早朝ニュースも担当することがある(その後火曜日に変更となり、臨時ニュースが入ってきたときに通常番組中に読み上げる)。
「エバーグリーン」内で、大塚愛の曲に対し「歌詞の意味がわけわからない」と批判的なコメントをしたことがある。斉藤は元々アナウンサーという事もあり「言葉の乱れ」に対し敏感で、同番組においても若者言葉などに時折言及することがある。
豆知識
横浜出身だけに地元のラジオ関東(現・ラジオ日本)の入社試験を受けたものの落ちている(2009年10月8日放送「ヨコハマろはす」にて)。その後、ラジオ日本へはフリーになったことで入局を果たしている。
出演番組
- 斉藤アンコーの朝まで待てない (ラジオ日本、2010年4月5日 - )
過去の担当番組
- 斉藤安弘のオールナイトニッポン
- 朝はおまかせアンコーです!
- お早ようアンコー何かいいことありそうな
- ラジオデー 広げようラジオの魅力(2009年5月6日 NHKラジオ第1放送)
- ザ・ホットライン ヨコハマろはす 木曜日レギュラーゲスト(ラジオ日本・2009年10月 - 2010年3月)
アナウンサー復帰後
- ブロードバンド!ニッポンフライデースペシャル「5時はおまかせアンコーです!」
- あの時君は若かった〜フォーエバーヤングニッポン (2005年1月10日)
- オールナイトニッポンアゲイン(ニッポン放送・BSフジ)
- オールナイトニッポンエバーグリーン
- ゴールドミッドナイトトラフィック ニッポン放送交通情報(火曜日)
- 宮藤官九郎のオールナイトニッポンGOLD(ニッポン放送、交通情報担当)
CM
その他
- 夕刊フジ水曜日発行「アンコーの遊楽帳」と題したコラム執筆
- ANA機内放送「オールナイトニッポンクラシックス」を担当