小林まこと
テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 小林 まこと(こばやし まこと、1958年5月13日 - )は、日本の漫画家。新潟県新潟市出身。本名は小林誠。主に講談社の漫画雑誌にて執筆。プロレス、格闘技好きで知られる。
歌手の小林幸子と親戚である。
経歴
郷里では小ん林(こんばやし)と呼ばれる。小学生の頃から漫画を200ページほどペン入れしていたが、楳図かずおの影響が濃い少女漫画風恐怖漫画ばかりで、作品タイトルには野山の遊び相手の一人であるヘビの名ばかり使い、作品の主題歌まで作った。少女漫画は漫画好きの友人の影響である。黒埼町立(現:新潟市立)黒埼中学校時代にも、続けてヘビの名を使った作品で『りぼん』の新人賞に応募し、努力賞5千円で学生服を買う。
新潟県立新潟商業高等学校時代は柔道部に所属しており、その経験が『格闘三兄弟』『柔道部物語』など後の作品に生きた。柔道を続けながら、やはりヘビの名を使った144ページの大作『シロマダラ』を、高校2年生の時小学館に持ち込む。この作品はプロデビュー後に編集者の栗原良幸に見込まれ、描き直しの上「月刊少年マガジン」で大々的に連載したが、スケジュールの無理から中断となった。
高校卒業後、上京する。望月三起也に頭を下げてアシスタントにしてもらうも、本人曰く「きつい」とのことで2ヶ月で退職した。漫画以外のアルバイトを1ヶ月続けては、きつくて辞めるを繰り返す。この間に描きあげた作品で各誌に持ち込みを行うも、総スカンをくらい、恐怖漫画は断念する。
次に開き直って、音楽バンドをテーマにしたコメディ漫画『格闘三兄弟』を、子供の頃から好きだった「週刊少年マガジン」に持ち込むと、工富保にキャラクターを見込まれ、工富に話した「高等時代柔道部の試合で、ブレーンバスターをかけられて負けた」体験をヒントに、格闘技をテーマとして描きなおした『格闘三兄弟』を第20回週刊少年マガジン新人漫画賞に応募する。この頃のコメディ作品には、『いなかっぺ大将』など川崎のぼるの影響が見られる。
この時は「週刊マガジン」創刊1000号記念で、賞金が30万円から、100万円+ステレオセットというビッグプライスになっていた。当初小野新二が有利と見られていたが、小林の応募で難航し、最後は決選投票で小林の入選(1位)に決まり、1978年同誌でデビューした。小林によると、小野は後々まで「どうせ俺は(佳作だから)10万円とテレビゲーム」と皮肉っていたという。佳作同期にはもろが卓(ガスコン金矢)がいた。また、小野と共に「新人三バカトリオ」と呼ばれることになる、大和田夏希もこの賞を狙っていたが、原稿が間に合わなかった。
引き続き、この作品の主要人物達を登場人物として『1・2の三四郎』を連載した。この作品で、1982年に第5回講談社漫画賞少年部門を、『週刊少年マガジン』連載の漫画家としては史上最年少の23歳で受賞した。1995年には、市川徹監督、佐竹雅昭主演により映画化されている。
『What's Michael?』は、アニメ化・CM・テレビドラマ化されるだけでなく、日本国外にも輸出されるほどのヒット作となり、1987年に第10回講談社漫画賞一般部門を受賞した。
作品
- 1・2の三四郎(1978年 - 1983年、週刊少年マガジン、講談社)
- 1・2の三四郎 2(1994年 - 1998年、週刊ヤングマガジン、講談社)
- 柔道部物語(1985年 - 1991年、週刊ヤングマガジン)
- What's Michael?(1984年 - 1989年、モーニング、講談社)
- I am マッコイ
- へば!ハローちゃん(ミスターマガジン)
- それいけ岩清水
- マンガの描き方(モーニング)
- 闘魂プロダクション(モーニング)
- ちちょんまんち(ヤングマガジンアッパーズ、講談社) - 処女のまま死んだ主人公がセックスだらけのあの世で性に目覚めるという、不思議な世界を描いた。
- 天国への階段 - 上記を加筆・再構成した作品(講談社KCDX、全4巻、2004年)。
- ガブリン(コミックボンボン、講談社)
- 格闘探偵団(イブニング、講談社)
- シロマダラ(月刊少年マガジン、講談社)
- 青春少年マガジン1978〜1983(2008年、週刊少年マガジン、講談社)
- ベイカー街少年探偵団(イラスト)
- 劇画・長谷川伸シリーズ(原作:長谷川伸)
その他
- 1979年頃に小野新二が結婚した際、その二次会会場でアルバイトをしていた女性が、小林の妻となっている。
- 『三四郎』連載開始後すぐ、遅筆の漫画家として知られるようになる。自伝漫画の『青春少年マガジン』によると、週刊漫画を1話描くのに8日を要し、連載中に穴を開けることも珍しくなく、それが休載扱いでなく誌面で堂々とネタになるほどであった。本当に病気で休載したのは、『シロマダラ』が連載不可能になった時だけであるという。他にも新人賞や講談社漫画賞の授賞式で遅刻をしている。一時は江口寿史に次ぐ「日本で2番目に締切を守らない漫画家」の名を譲らなかったが、その後は執筆作品の移行などにより、最も酷かった時期からは立ち直っている。
- その作風から豪快で饒舌な人物と思われがちだが、実際は沈思黙考するタイプであるという。
- 趣味はバンド活動、昭和30年代の映画を観ること、壊れやすい車に乗ること。
- 『青春少年マガジン』では、小学校時代から『三四郎』連載中まで多数の資料が発掘されており、物は比較的捨てずにためる主義である人物であることがわかる。