八木・宇田アンテナ
八木・宇田アンテナ(やぎ・うだアンテナ、テンプレート:Lang-en)とは八木秀次、宇田新太郎によって開発されたアンテナの一種である。素子の数により調整できる指向性アンテナである。一般には八木アンテナという名称で知られている(下記の歴史的経緯を参照されたい。またダイポールアンテナの項も参照されたい)。
主にテレビ放送、FM放送の受信用やアマチュア無線、業務無線の基地局用などに利用される。変わった所では、自衛隊の移動式地対空ミサイル施設のレーダーのパラボラアンテナの輻射器に用いられているものもある(洞爺湖サミット開催時の、扶桑社『週刊SPA!』(テンプレート:いつ●年●号)の写真より)。
概要
一番後に反射器(リフレクタ)、その前に輻射器(給電する部品。ラジエータ)、その前に導波器(ディレクタ)の素子(エレメント)を並べた構造になっている(図を参照)。
導波器は棒状で輻射器よりも短く、反射器は同形状で輻射器よりも長い。このアンテナは指向性があり、その方向は反射器から導波器の方向になる。一部には各素子の長さがそのまま送受信出来る周波数に対応している旨解説するものもあるが、これは誤り。
八木・宇田アンテナと非常によく似た形の位相差給電アンテナや対数周期アンテナ(ログペリオディックアンテナ。通称 : ログペリ)があるが、これらは原理が異なる別のアンテナである。
今日の超短波 (VHF) 帯以上の実用的な構成としては反射器は通常1素子を、導波器は複数を用いて指向性を鋭くアンテナの利得を高くするようにしている。輻射器としては半波長ダイポールアンテナまたは折返しダイポールアンテナが用いられる。垂直偏波の場合は、スリーブアンテナやブラウンアンテナが用いられることもある。
テレビ受信用
電波を受信する際、素子数が少ないほど利得が小さく近距離受信に向いており逆に多いほど利得が大きく遠距離受信に向いている。一般的に放送区域内の極超短波(UHFテレビ)放送受信には中距離受信用(14 - 20素子程度が多い、電界強度が非常に強い場合はそれより少ない素子数のものを用いる)のアンテナをアナログ放送は地上3 - 10m程度の高さ、デジタル放送は地上10m程度の高さで受信、放送区域外の場合は遠距離受信用(20 - 30素子程度、場合によってはパラスタックアンテナ)のアンテナで受信する。
但し素子を増やせば増やすほど素子1本追加する毎の利得の伸びは小さくなり、その反面、形状が非常に大きくなり設置が困難となるため一般に市販されているテレビ放送受信用の場合VHFで15素子、UHFで30素子、FM放送受信用の場合10素子を越えるアンテナは一般的ではない(かつてはマスプロ電工で10素子用のFMアンテナ「FM10」を生産していた)。しかし、指向性は鋭くなるため混信防止などの目的でこれらの数を越える素子のアンテナが用いられることもある。
主に放送受信用として利用されている各周波数帯用のアンテナの種類は、FM放送用 (76 - 90MHz) ・VHFローチャンネル (1 - 3ch) 用・VHFハイチャンネル用 (4 - 12ch) ・VHFマルチチャンネル用(VHF全1 - 12ch)・UHFローチャンネル用(主に13 - 28ch)・UHFハイチャンネル用(主に25 - 62ch)・UHFマルチチャンネル用(UHF全13 - 62ch※現在は主に13 - 52ch)などがある。また、VHF・UHF共用のアンテナも存在する(主に関西地方や北海道渡島地方などVHFとUHFの送信所が同方向の地域で利用されるほか地上アナログ放送と地上デジタル放送の受信アンテナを一本化できるため、関東地方でも立てている世帯もわずかながらある)。なお、VHF用アンテナについては2010年夏に大手メーカー各社が生産打ち切りを発表している。
送信アンテナから近く十分に電界強度がある地域でも、素子数の多いアンテナを使う方がよいことがある。ビル街や地形などによりマルチパスが生じている場合である。素子数が多いアンテナは指向性が鋭いので、マルチパスの影響を受けにくくなるからである。指向性を鋭くするには素子数の多いアンテナを使う以外に、スタックを組む方法もある。水平面の指向性を鋭くするには水平スタック(パラレルとも言う)を組み、垂直面の指向性を鋭くするには垂直スタックを組む。
歴史
このアンテナが発明される発端は当時八木、宇田が所属した東北帝国大学工学部電気工学科で行われていた実験にあった。実験中に電流計の針が異常な振れ方をするので原因を探求したところ、実験系の近くに置かれた金属棒の位置が関係していることが突き止められた。ここからこのアンテナの基本となる原理が発見され、1926年に八木の出願[1]により特許権を得た[2]。八木教授の指導の下で当時八木研究室にいた講師の宇田が実用化のための研究に取り組み、1926年に八木・宇田の連名[3]で論文が出された。しかし国内外の特許出願が八木の単独名で出されたため、日本国外の人々には“Yagi antenna”として知られることとなる。後述するように日本では日本国外からの情報により八木・宇田アンテナが注目されるようになった経緯もあって、日本国内でも八木アンテナとの名称が広まった。後年、事情を知る人達が宇田の功績も称えるべきであり「八木・宇田アンテナ」と呼ぶべきと主張し[4]最近の学術書などでは八木・宇田アンテナと記述されている[5]。併しながら、種々の文献を調査した結果、発明者名から宇田を外した八木特許には現在の社会では考えられないような問題点があることが判明した。[6] なお、八木・宇田両氏の発明についての情報は、外国では当時の帝国学士院の連名英文論文(1926)[7]に基づいているのに対し、日本では専門外のフィクション作家の著書(1992)による情報であるので、認識に差異があるのは止むを得ない。
欧米の学会や軍部では八木・宇田アンテナの指向性に注目しこれを使用してレーダーの性能を飛躍的に向上させ、陸上施設や艦船、さらには航空機にもレーダーと八木・宇田アンテナが装備された。しかし、日本の学界や軍部では敵を前にして電波を出すなど暗闇に提灯を燈して位置を知らせるも同然だと考えられ、重要な発明とみなされていなかった。このことをあらわす逸話として1942年に日本軍がシンガポールの戦いでイギリスの植民地であったシンガポールを占領し、イギリス軍のレーダーに関する書類を押収した際、日本軍の技術将校が技術書の中に頻出する“YAGI”という単語の意味を解することができなかったというものがある。技術文書には「送信アンテナはYAGI空中線列よりなり、受信アンテナは4つのYAGIよりなる」と言った具合に“YAGI”という単語が用いられていたが、その意味はおろか読み方が「ヤギ」なのか「ヤジ」なのかさえわからなかった。ついには捕虜のイギリス兵に質問したところ「あなたは、本当にその言葉を知らないのか。YAGIとは、このアンテナを発明した日本人の名前だ」と教えられて驚嘆したと言われている[8]。シンガポール占領から約4カ月後のミッドウェイ海戦において、米軍は八木アンテナを駆使して作戦を展開し、日本の連合艦隊に大損害を与えた[9]。さらに後にはアメリカ軍が広島と長崎に原子爆弾を投下した際にも、最も爆発の領域の広がる場所を特定するために八木の技術を用いた受信機能が使われた。
一方、宇田は八木・宇田アンテナの発明後はその実用化を目指し、国内の近辺各地に自ら出向いて意欲的な実験を続けた。例えば、1932年には酒田・飛島(約40kmの離島)間での超短波通信に成功し、1933年には郵政省が、わが国初の超短波公衆電話回線を酒田・飛島間に開設した。この業績に対し、飛島の関係者の推薦により、宇田は第1回河北文化賞を受賞した。[10]
八木は1926年2月に、このアンテナで無線のエネルギー伝達を試みた。八木と宇田は、波のプロジェクター指向性アンテナ(Wave Projector Directional Antenna)に関する最初の報告書を公表した。八木は何とか概念の証拠を実証したが、技術的問題として従来の技術よりもより煩わしいことが判明した。併し、1954年には英文著書 YAGI-UDA ANTENNA[11]が出版された。
この発明は電気技術史に残るものとして1995年、IEEEマイルストーンに認定された。銘板は東北大学片平キャンパス内に置かれている。
地デジ化でVHFテレビ用アンテナ消滅へ
日本の固定テレビ向け地上波テレビ放送において、2012年3月までにアナログ放送が終了し、デジタル放送に移行し、((2011年問題 (日本のテレビジョン放送)を参照)VHFを使用しなくなるため、受信用の「VHF」と「VU共用タイプ」については2010年8月末までに国内メーカー全社が生産終了した。 但し、VHF帯FMラジオ受信用の八木・宇田アンテナは、国内メーカーのカタログに現存している。(2013年6月現在)
脚注
関連項目
- 八木アンテナ (企業) - 八木を創業者として1952年に創業されたアンテナメーカー。
- レーダー
- 斎藤報恩会 - 八木・宇田アンテナの研究は同財団からの助成支援を受けた。
- 日本の地上デジタルテレビ放送