亘理郡

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ファイル:Miyagi Watari-gun.png
宮城県亘理郡の範囲(1.亘理町 2.山元町)[1]

亘理郡(わたりぐん)は、宮城県令制国下では陸奥国(のち磐城国)に属す。

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以下の2町を含む。

郡域

明治11年(1878年)の郡区町村編制法施行当時の郡域は、現在の郡域2町および岩沼市の一部(吹上・吹上西・阿武隈・大昭和など)であった。

歴史

幕末の時点では郡全域が仙台藩領に属した。『旧高旧領取調帳』に記載されている26か村は以下の通り。若干の混交はあるが、本藩領1か村(小山)、大條氏知行地2か村余(坂元・真庭および高瀬のうち笠野浜・新浜)を除く23か村の大部分が亘理伊達氏の知行地であった。

坂元本郷、麻生原(浅生原)村、吉田村、鹿島村、長瀞村、山寺村、十文字村、小山村、上郡村、下郡村、榎袋村、鷲足村、大平村、小平村、真庭村、高屋村、鷺屋村、蕨村、中泉村、高須賀村、八手庭村、牛袋村、田沢村、神宮寺村、高瀬村、小堤村

町村制施行以前の沿革

  • 明治7年(1874年)4月 - 区の再編にともない、亘理郡は伊具郡・宇多郡と共に宮城県第10大区となる。
  • 明治9年(1876年)4月22日 - 磐前県に移管される。
  • 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により宮城県に復帰する。
  • 明治9年(1876年)11月 - 区の再編にともない、亘理郡は刈田郡柴田郡・伊具郡と共に宮城県第1大区となる。
  • 明治11年(1878年)10月21日 - 郡区町村編制法の施行にともない、大区小区制を廃止。亘理郡は伊具郡と共に伊具・亘理郡役所の所轄となる(郡役所は伊具郡角田本郷に設置)。
ファイル:Miyagi Katta-Igu-Watari-gun 1889.png
41.亘理町 42.坂元村 43.山下村 44.吉田村 45.逢隈村 46.荒浜村 (橙:亘理町 黄:山元町 緑:岩沼市。1 - 11は刈田郡 21 - 35は伊具郡

町村制施行以後の沿革

  • 明治22年(1889年)4月31日 - 町村制施行にともない、以下の町村が発足[2]。(1町5村)
    • 亘理町 ← 小堤村
    • 坂元村 ← 坂元本郷・真庭村(現:山元町)
    • 山下村 ← 八手庭村・大平村・小平村・鷲足村・山寺村・浅生原村・高瀬村(現:山元町)
    • 吉田村 ← 吉田村・長瀞村(現:亘理町)
    • 逢隈村 ← 牛袋村・榎袋村・鹿島村・高屋村・上郡村・下郡村・小山村・鷺屋村・十文字村・神宮寺村・田沢村・中泉村・蕨村(現:亘理町)
    • 荒浜村 ← 高須賀村(現:亘理町)
  • 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制施行にともなう伊具・亘理郡役場の廃止により、亘理郡役所を亘理町に設置。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡制廃止にともない郡会を廃止。残務処理のため郡役所は存置。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所廃止。
  • 昭和18年(1943年)4月29日 - 荒浜村が町制施行し、荒浜町となる。(2町4村)
  • 昭和22年(1947年)1月11日 - 逢隈村のうち阿武隈川北岸の部分(吹上地区[3]、2.44平方km)を名取郡岩沼町に編入。
  • 昭和30年(1955年)2月1日 - (2町)
    • 亘理町・荒浜町・吉田村・逢隈村が合併し、新制の亘理町が発足。
    • 山下村・坂元村が合併し、山元町が発足。

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変遷表

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明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
小堤村 亘理町 亘理町 亘理町 昭和30年2月1日
亘理町
亘理町 亘理町
高須賀村 荒浜村 荒浜村 昭和18年4月29日
町制施行 荒浜町
小山村 逢隈村 逢隈村 昭和22年1月11日
一部を名取郡岩沼町
牛袋村
榎袋村
鹿島村
高屋村
上郡村
下郡村
鷺屋村
十文字村
神宮寺村
田沢村
中泉村
蕨村
吉田村 吉田村 吉田村 吉田村
長瀞村
八手庭村 山下村 山下村 山下村 昭和30年2月1日
山元町
山元町 山元町
大平村
小平村
鷲足村
山寺村
浅生原村
高瀬村
坂元本郷 坂元村 坂元村 坂元村
真庭村

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行政

  • 歴代郡長

(伊具・亘理郡長は伊具郡の項を参照)

氏名 就任 退任 備考
1 山内信実 明治27年(1894年)4月1日
2 高岡松郎
3 高橋為清
4 半田卯内 明治34年(1901年)12月27日 明治41年(1908年)3月9日[4]
5 小倉信光 明治41年(1908年)3月9日[4]
6 伊地知靖臣
7 宮崎公男
8 卯埜正路
9 畑山四男美
10 古川為二
11 吉村十七夜月
12 佐藤新平
13 八谷サトシ[5]
14 小山喜寿
15 松山左助

脚注

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参考文献

  • 『山元町誌』(宮城県亘理郡山元町、1971年)
  • 『亘理町史』下巻(宮城県亘理郡亘理町、1977年)
  • 角川日本地名大辞典』 4 宮城県(角川書店、1979年)

外部リンク

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  1. 郡役所は大正15年まで設置。[1]
  2. 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年(1889年)2月9日付、宮城県令第8号)
  3. 逢隈村中泉のうち、法京・鯖土手・藤波西・丹後北・丹後南・根方道北・岩沼上下の各字
  4. 4.0 4.1 『官報』第7408号、明治41年3月10日。
  5. 「サトシ」はりっしんべんに鬲