群ようこ
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テンプレート:Portal 群 ようこ(むれ ようこ、本名:木原ひろみ 1954年12月5日 - )は、日本の作家、随筆家。独身。軽妙な語り口の文体で、主に女性からの支持を受けている。
来歴
- 日本大学藝術学部文芸学科卒業。1年先輩に林真理子がいる。
- 1984年7月、在社中に単行本『午前零時の玄米パン』(本の雑誌社刊) を発表し、本格的に作家デビュー。なお、ペンネームの「群」は、後述する目黒考二の使用していたペンネーム「群一郎」をのれん分けで譲り受けたものである。(「ようこ」は目黒氏の初恋の女性の名前)
- 同年12月に本の雑誌社を退職し、以後多くの随筆・小説・評伝・対談等を発表、現在に至る。
エピソード
- 大学卒業後、広告代理店に勤めるも半年で退職。その後転々と職を変えた後、椎名誠や目黒考二の本の雑誌社に事務職として入社。社員は群一人で、椎名や目黒はたまにしか事務所に顔を出さず、たまにかかってくる電話注文に応対するのが彼女の仕事であった。やがて知人の勧めもあり、本名で『本の雑誌』にコラム(書評)を書き始める。[1][2]。
- 父は売れない絵描きであり、昼間でも自宅にいることが多かった。幼い頃の群と弟に花札を教え込み、小遣いを巻き上げるような一面もあったという。また大の引越し魔でもあり、風呂を薪で沸かすような家から、洋風の広いリビングのある家まで、様々な家に移り住んだ。
- 家計は母が担っており、夫婦仲は悪かった。群は家に帰りたくないために、学校の図書室で下校時間ぎりぎりまで本を読むようになったという。
- 林真理子とは、大学在学当時は互いに面識がなかったが、後に群がエッセイストとしてデビューする際、「先輩」的存在として既に林がデビューしていたことが心強かったという。
- 20歳の時、「アメリカに行けば何かがある」と、アルバイトで貯めたお金でアメリカに旅行したが、特に劇的なことは起きなかった。
- 彼女の最初の読書エッセイ集『鞄に本だけつめこんで』(1982年刊)では、28歳の若さでありながら、作品の選択眼は非常に渋く(森田たまや、尾崎翠の作品等)、またそれぞれの内容を自分の人生と比較しながら、独自の感性でユーモアたっぷりに紹介する手法は、それまでの読書エッセイにはない新鮮なものであった。なお、森田たまの「もめん随筆」は中学1年の時の担任の数学教師に薦められ、読もうとしたが絶版で、25歳の時に、ようやく古本屋で入手したという。
- 1994年に新潮文庫から刊行した『亜細亜ふむふむ紀行』以降、海外旅行が好きになり、『またたび東方見聞録』(1996)、『雀の猫まくら』(1998/ ハワイ旅行記)、『東洋ごろごろ膝栗毛』(1997)と、旅行記ものを続けて刊行した。
著書
エッセイ
- 午前零時の玄米パン
- アメリカ恥かき一人旅
- 別人「群ようこ」のできるまで
- 鞄に本だけつめこんで
- 本は鞄をとびだして
- 生きる読書
- たかが猫 されどネコ
- 人生勉強
- 撫で肩ときどき怒り肩
- またたび回覧板
- しいちゃん日記
- ヒヨコの蠅叩き
- ヒヨコの猫またぎ
- 交差点で石蹴り
- 雀の猫まくら
- ネコの住所録
- ぢぞうはみんな知っている
対談
- 解体新書(たあへるあなとみあ)―群ようこ対談集
- 鳥頭対談―何を言っても三歩で忘れる(西原理恵子との対談)
- 驚典―群ようこ対談集 講談社 2000.2
その他
小説
無印シリーズ
- 無印良女
- 無印OL物語
- 無印結婚物語
- 無印失恋物語
- 無印不倫物語
- 無印親子物語
- 無印おまじない物語
その他
- 姉の結婚
- でも女
- ひとりの女
- おやじ丼
- ねこと海鞘
- アメリカ居すわり一人旅
- 人生勉強
- 挑む女
- 小美代姐さん花乱万丈 (名取裕子主演で舞台化)
- かもめ食堂(同名タイトルの映画のために書き下ろした作品。2006年出版)
- 都立桃耳高校―神様おねがい!篇
- 都立桃耳高校―放課後ハードロック!篇
- パンとスープとネコ日和
自作解説
- NOW and THEN 群ようこ―群ようこ自身による全作品解説+95の質問 1997