京王御陵線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|}
御陵線(ごりょうせん)は、1931年(昭和6年)から1945年(昭和20年)まで営業していた京王電気軌道(→東京急行電鉄→京王帝都電鉄〈現・京王電鉄〉)の鉄道路線である。一部区間は現在の高尾線となっている。
概要
大正天皇崩御により造営された天皇家初の関東地区での多摩御陵が話題となり、多くの参拝者の移動手段として京王電気軌道の手により敷設された。普段は北野 - 多摩御陵前間の折り返し運転であったが、全盛期の頃は土日になると新宿からの直通運転が行われ、省線電車との熾烈な輸送競争を行っていた。
戦局の悪化に伴い不要不急線として1945年(昭和20年)1月21日に休止。後に、北野 - 山田間が高尾線の一区間に取り込まれる形で復活した。残りの山田 - 多摩御陵前間は高尾線新設区間の山田 - 高尾山口間の免許認可後の1964年(昭和39年)11月26日付で正式に廃止となった。
路線データ
歴史
- 1927年(昭和2年)12月13日 鉄道免許状下付(八王子市明神町-南多摩郡横山村間)[1]
- 1931年(昭和6年)3月20日 京王電気軌道により御陵線 北野 - 御陵前間が開業
- 1937年(昭和12年)5月1日 横山駅を武蔵横山駅に、御陵前駅を多摩御陵前駅に改称
- 1944年(昭和19年)5月31日 京王電気軌道が東京急行電鉄に合併、同社の路線となる
- 1945年(昭和20年)
- 1948年(昭和23年)6月1日 東京急行電鉄から京王帝都電鉄が分離、同社の路線となる
- 1964年(昭和39年)
- 1967年(昭和42年)10月1日 高尾線として北野 - 山田間が復活。片倉駅を京王片倉駅に改称
北回り案と南回り案
御陵線のルートには、二つの案があった。一つは当時の東八王子駅(現・京王八王子駅)を高架化して、八王子市街地北部と同市横川町付近を経由し、多摩御陵付近へ京王線を延伸するいわゆる北回り案。もう一つは北野駅から分岐して片倉を経由し、国鉄中央本線と甲州街道を高架でオーバークロスして、多摩御陵付近へ至るいわゆる南回り案である。北回り案については、市街地が路線で分断されるとの理由で八王子市議会が反対したために、御陵線は最終的に南回り案で建設された。
駅一覧
接続路線
- 北野駅:京王線
京王電気軌道時代
- 武蔵横山駅:高尾線(武蔵横山駅前駅)
現状
御陵線の面影を残す痕跡として、長房団地近くの住宅街に橋脚が残っている。
脚注
関連項目
- 日本の廃止鉄道路線一覧
- 廃線
- 東浅川駅 - 多摩御陵の参拝のために、国鉄線上に作られた駅(皇室専用)。
外部リンク
- 京王帝都電鉄御陵線[関東] - Web日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線(新潮社)
- 京王電車回顧二十年(京王線・御陵線沿線の絵図) - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年12月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「軌道を地方鉄道に変更許可」『官報』1945年10月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)