骨皮道賢
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骨皮 道賢(ほねかわ どうけん、生年不詳 - 応仁2年3月21日(1468年4月13日))は、室町時代の傭兵、足軽大将。
生涯
元は目付の頭目で、侍所所司代多賀高忠に仕え、盗賊の追捕を行っていた。
応仁元年(1467年)の応仁の乱で足軽大将として活躍、細川勝元に金品によって勧誘され、東軍に属して戦った。伏見の稲荷山(京都市伏見区)に拠点を置き放火や後方攪乱を担当したが、翌応仁2年(1468年)、山名宗全、斯波義廉、朝倉孝景、畠山義就、大内政弘らの大軍に布陣していた稲荷社を包囲されると、女装して包囲網を脱出しようとしたが露顕し朝倉孝景に討ち取られた。道賢の記録が載る禅僧の日記での名前の初見は、3月15日条からであり、21日までの6日間の活躍しか記述されていない[1]。その最期を「昨日まで稲荷廻し道賢を今日骨皮と成すぞかはゆき」と歌で皮肉られた。
なお、苗字の骨皮から皮革業を営んでいたという説もあるが、骨と皮ばかりの痩せた者という外観からきているかもしれず、どちらともいえないとされている。