ナット・キング・コール
テンプレート:Infobox Musician ナット・キング・コール(Nat King Cole、1919年3月17日 - 1965年2月15日)は、アメリカのジャズ・ピアニスト、歌手。
本名:ナサニエル・アダムズ・コールズ(Nathaniel Adams Coles)。「キング」は愛称。
経歴
アラバマ州モンゴメリーで生まれた。母・ペリーナは教会のオルガン奏者で、コールは12歳まで母からオルガンを習った。
1930年代からピアニストとして活動。スウィング・ジャズ時代末期の傑出したピアニストとしての業績を残した。1939年にピアノ、ギター、ベースのシンプルな編成からなる「ナット・キング・コール・トリオ」を結成。 ビッグバンドの時代におけるコールの編成は革新的とみられ、トリオバンド流行の火付け役となった。
ピアニストとしての活動の間、艶のある声を買われて、歌手としても活動するに至った。1944年、歌手として「ストレイトン・アップ・アンド・フライ・ライト(Straighten Up and Fly Right)」を大きくヒットさせた。
1948年3月28日、歌手のマリア・エリントンと結婚。5子を儲ける。1950年代以降はジャズからポピュラー界に軸足を移し、テレビにも多く出演し広く大衆的な人気を得た。
1950年以降の歌唱では、「モナ・リザ(Mona Lisa)」「スターダスト」「ルート66」「トゥー・ヤング(Too Young)」「ホエン・アイ・フォール・イン・ラブ」「ネイチャー・ボーイ(Nature Boy)」などが知られる。「スマイル」は、もともと映画「モダン・タイムス」のテーマ曲(インストゥルメンタル)であるが、コールのレコードのために歌詞が加えられたものである。
ポピュラー界で人気者となったコールも、1956年にはストレート・アヘッドなジャズアルバム「アフター・ミッドナイト(After Midnight)」を発表し、自分の原点を見つめ直した。
1961年にシングル「レット・ゼア・ビー・ラヴ(Let There Be Love)」がイギリスでヒットした。
歌手としてまだ絶頂時の1965年2月15日に、カリフォルニア州サンタモニカの病院で肺ガンにより死去した。1964年の「L-O-V-E」が、生前最後の大ヒット曲となった。
人物
- コールは1日にクール(KOOL)を3箱も吸うヘビースモーカーで、コール自身は「たばこは声を低音にする」と信じていた。
- フリーメイソンのメンバーであった[1]。コールがカバーした「スマイル」を作曲した喜劇王チャールズ・"チャーリー"・チャップリンもフリーメイソンであった[2]。
親族
- 弟、アイク・コール(Ike Cole)、フレディ・コール(Freddy Cole)もジャズ・ピアニストや作曲家として活動した。アイクは日本でも歌手として活動(ジェリー・ウォレスの「男の世界」をカバーしたり、日本語で歌唱した「マイ・ボーイ/夜のカレンダー」をリリースしたりするなどした)。フレディの子、ライオネル・コール(Lionel Cole)もキーボード奏者、音楽プロデューサーとして活動している。
影響
- 美空ひばりはコールのファンとして知られ、1965年にアルバム『ひばりジャズを歌う〜ナット・キング・コールをしのんで』を制作している。
その他
- 日本の往年のファンや洋楽通からはナッキンコールと呼ばれることが多い。コールは2回の来日経験があり、そのうち1963年2月には東京・赤坂の高級キャバレー「ニューラテンクォーター」でライブショーを行い、TBSテレビで録画放送された(のちに市販されている)。
ディスコグラフィ