答志郡
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郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
近世以降の沿革
- 明治初年時点で、全域が鳥羽藩領であった。「旧高旧領取調帳」の記載によると、鳥羽城下[1]ほか1町36村が存在。
- 明治4年
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により三重県の管轄となる。
- 明治11年(1878年) - 本町・大里町・横町・中之郷・藤之郷・奥谷・錦町が合併して鳥羽町となる。(1町36村)
- 明治12年(1879年)2月5日 - 郡区町村編制法の三重県での施行により、行政区画としての答志郡が発足。「答志英虞郡役所」が鳥羽町に設置され、英虞郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町10村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、答志郡・英虞郡の区域をもって志摩郡が発足。同日答志郡廃止。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 24 三重県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
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テンプレート:志摩国の郡- ↑ 記載は鳥羽村。本項では便宜的に1町に数える。