朝明郡
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郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 四日市市の一部(概ね羽津、富士町、城山町、羽津山町、山手町、緑丘町、垂坂町、垂坂新町、中村町、萱生町、あかつき台、山城町、札場町、小牧町、中野町以北)
- 三重郡川越町・朝日町の全域
- 三重郡菰野町の一部(永井・竹成・小島・田口・田口新田・田光・杉谷・切畑・榊・根の平)
歴史
近世以降の沿革
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 伊勢桑名藩 | 25村 | 東富田村、富田一色村、松原村、高松村、豊田村、松寺村、蒔田村、西富田村、北村、茂福村、八幡村、羽津村[1]、豊広新田[2]、吉沢村、葭野新田、柿村、小向村、縄生村、当新田、北福崎村、亀須新田、亀尾新田、亀崎新田、南福崎村[3]、豊田一色村、天ヶ須賀村[4] |
武蔵忍藩 | 35村 | 別名村、垂坂村、鵤村、下之宮村、大矢知村、広永新田、平津村、萱生村、中村、中里村、西大鐘村、東大鐘村、千代田村、伊坂村、山村、広永村、埋縄村、川北村、永井村、竹成村、馬場村、中脇村、杉谷村、田光村、切畑村、田口村、田口新田、小島村、西村、市場村、中野村、小牧村、札場新田、山城村、北山村 |
- 慶応4年1月22日(1868年2月15日) - 戊辰戦争により桑名城が開城し、桑名藩領が名古屋藩取締地となる。
- 明治2年8月10日(1869年9月15日) - 桑名藩が減封のうえ再興。本郡内の領地は安堵。
- 明治4年
- 明治5年3月17日(1872年4月24日) - 安濃津県が改称して三重県となる。
- 明治8年(1875年)(58村)
- 馬場村・中脇村が合併して榊村となる。
- 葭野新田が高松村に合併。
- 明治12年(1879年)2月5日 - 郡区町村編制法の三重県での施行により、行政区画としての朝明郡が発足。「三重朝明郡役所」が三重郡四日市町に設置され、同郡とともに管轄。
- 明治20年(1887年) - 北村が茂福村に合併。(57村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。特記以外は全域が現・四日市市。(11村)
- 羽津村[5] ← 八幡村、羽津村、吉沢村、別名村、鵤村
- 富田村 ← 東富田村、茂福村
- 富洲原村 ← 富田一色村、松原村、天ヶ須賀村
- 川越村 ← 豊田一色村、南福崎村、亀崎新田、亀尾新田、亀須新田、当新田[大部分]、北福崎村、高松村、豊田村、縄生村[一部](現・三重郡川越町)
- 朝日村 ← 縄生村[大部分]、小向村、柿村、埋縄村、当新田[一部](現・三重郡朝日町)
- 大矢知村 ← 垂坂村、西富田村、蒔田村、松寺村、大矢知村[枝郷山添を除く]、下之宮村、川北村
- 八郷村 ← 平津村、広永村、山村、伊坂村、千代田村、中村、萱生村、広永新田、大矢知村[枝郷山添[6]]
- 下野村 ← 東大鐘村、西大鐘村、北山村、中里村、山城村、札場新田
- 保々村 ← 中野村、小牧村、市場村、西村
- 竹永村 ← 永井村、竹成村(現・三重郡菰野町)
- 朝上村 ← 小島村、田口村、田口新田、田光村、杉谷村、切畑村、榊村(現・三重郡菰野町)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、三重郡・朝明郡の区域をもって、改めて三重郡が発足。同日朝明郡廃止。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 24 三重県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
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