梓川
テンプレート:Infobox 河川 梓川(あずさがわ)は、長野県松本市を流れる信濃川水系犀川の上流域を示す別称。
地理
長野県松本市の北西に位置する飛騨山脈(北アルプス)槍ヶ岳に源を発し南流する。上高地で大正池を形成し、梓湖(奈川渡ダム)に注ぐ。島々で東に向きを変え、新淵橋を過ぎてまもなくから下流には右岸の波田と左岸の梓に河岸段丘をつくっている。
松本市大字島内で奈良井川を合わせ犀川と名を変える。奈良井川との合流点手前のラーラ松本付近では、奈良井川で取水した拾ヶ堰と勘左衛門堰が地下を横断する。
歴史
仁科濫觴記によれば、成務天皇の代に諸国の郡の境界を定めた際(古事記には「国々の堺、また大県小県の県主を定めた」とある)、保高見ノ熱躬(ほたかみのあつみ:後に「熱躬」を「安曇」と改称)が郡司であったため熱躬郡(あつみぐん)とし、境界の川も「熱躬川(あつみがわ)」とした。この熱躬川が、天智天皇7年(668年)に「梓川」と改称された[1]、とある。「熱躬川」であったにもかかわらず、梓川を「あつみがわ」ではなく「あずさがわ」と呼ぶ理由としては、二十巻本の和名抄(巻5)で、信濃国安曇郡を「阿都之(あつし)」と訓じてあることがあげられる。この「あつし」の訓は、「あづさ」の音にきわめて近い。
一方で、流域は古来より梓の産地であり、梓弓の材料として朝廷にも献上されていて、このことが川の名前の由来になったとも言われている[2][3]。
利水
梓川の水は、発電用と、農業用灌漑のために、古くから用いられてきた。このため、新淵橋よりも下流の松本盆地での流量は豊かだとは言えない。
発電用
水路式発電所は上高地に近い上流から、盆地部に下りての昭和電工赤松発電所・梓水力発電所まで、流域の各地に造られて古くから稼働してきた。1969年(昭和44年)11月には、奈川渡ダム、水殿ダム、稲核ダムの梓川3ダムが完成した(それまで梓川にはダム式発電所がなかった)。この梓川3ダムは揚水発電所として運用されている。このため、下流のダム湖の上端が上流のダムの下まで来るように造られている。
灌漑用
「堰」は一般には、川を堰き止める構造物をさすが、松本盆地ではその堰から取水して水を流す人工河川をも「堰」(読みは「せぎ」)といい、たくさん存在する。梓川から取水するものだけでなく、烏川から取水する烏川用水、犀川から取水する矢原堰、奈良井川から取水する拾ヶ堰・勘左衛門堰なども知られている。
和田堰は古く、937年以前に完成していたといわれる[4]。また、寛政時代から企画されて明治初めに着工された波田堰は、立案した時すでに12の堰があり、新たに堰を通すには水利権を持つ12の堰の承認を得なければならず、このことが築造に際しての最大の障壁だった[5]。これら12堰のうち『波田堰百年史』が名を挙げている7か堰は次の通りである。榑木堰、中萱堰、鳥羽堰、島堰、高松堰、北方堰、飯田堰[6]。
梓川3ダムが完成したころから、地下式水路による灌漑も行われるようになった。このため、対象畑作地域では細かく灌漑用配水管が地下に設置されている。灌漑用の水路構成については、「支流・ダム・取水など」を参照。
流域の自治体
橋梁
- 新村橋
- 明神橋
- 河童橋
- 田代橋
- 穂高橋
- からまつ橋
- 中の湯橋
- 上坂巻橋
- 坂巻橋
- 白なぎ橋
- 芝そり橋
- 桧べつり沢橋
- 榾小屋橋
- 雲間の滝橋
- 栂桜橋
- 沢渡橋
- 沢渡大橋
- 梓湖大橋
- 前川渡大橋
- 奈川渡ダム
- ダムの上が道になっている。
- 安曇橋
- 藤橋
- 家の向橋
- 稲核橋
- 雑炊橋
- 龍安橋
- 梓川頭首工(徒歩横断できるが、実際には猿害防止の電気柵が設置されている)
- 新淵橋
- 八景山橋
- 梓川橋(県道)
- 下島橋
- 倭橋
- 中央橋 (梓川)
- 梓橋
- 梓川橋 (自動車道)
- アルプス大橋
- あずみ野橋(梓川最下流の橋)
支流・ダム・取水など
梓川
- 梓川頭首工(灌漑用取水)
脚注
参考文献
- あずさ書店編集部『幻の大寺院 若沢寺を読みとく』あずさ書店、2010年。ISBN 9784900354678
- 長野県文化財保護協会編集『乗鞍の歴史と民俗』信毎書籍出版センター、1981年。
- 仁科宗一郎著『安曇の古代 -仁科濫觴記考-』柳沢書苑、1972年。
- 横山篤美『波田堰百年史』波田堰事跡顕彰会、1975年。
関連項目
外部リンク
- 千曲川情報館(国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所)千曲川がメインだが梓川も紹介されている。