吉野大峯ケーブル自動車

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ファイル:YoshinoRopeway.jpg
吉野ロープウェイ(旧塗装)
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吉野大峯ケーブル自動車の車両
ファイル:吉野大峯ケーブル旧型バス.jpg
吉野大峯ケーブル自動車がかつて運行していた旧型キャブオーバー型バス。1981年4月撮影

吉野大峯ケーブル自動車株式会社(よしのおおみねケーブルじどうしゃ)は、奈良県吉野郡吉野町近鉄吉野駅至近の吉野千本口から吉野山までのロープウェイと吉野山内の路線バスを運行する会社である。

ケーブルと称するが運営しているのはロープウェイで、その近鉄特急風の搬器(ゴンドラ)の塗装や前面デザインからは近鉄グループかと思わせるが、実際には地元資本の独立事業者であり近鉄との資本関係はない。ただしゴンドラは近鉄グループの近畿車輛で製造されている。なおゴンドラの塗装は2013年に桜を模した白を主体とした新塗装に改められた(近鉄26000系「さくらライナー」の塗装に近い)。また、現存するロープウェイ路線としては最古である。

会社名は当初は吉野から大峯山までの長大な路線を計画していたことによるが、その計画は第1期のロープウェイ開通直後に世界を襲った世界恐慌のために立ち消えとなった。

沿革

  • 1927年(昭和2年)1月25日 逓信省(現在の総務省)より索道敷設認可[1]
  • 1927年(昭和2年)12月 吉野山架空ケーブル株式会社設立(資本金10万円)[2]
  • 1929年(昭和4年)3月12日 千本口 - 吉野山間のロープウェイを開業。建設費は12万円。当初は20人乗りの搬器で片道15銭。
  • 1934年度(昭和9年) 大峯登山自動車へ社名変更[3]
  • 1935年度(昭和10年)吉野大峯ケーブル自動車へ社名変更[4]

ロープウェイ

交走式(つるべ式)で搬器は28人乗り。ケーブル2本の間にぶら下がる珍しい形式である。またケーブルカーのように内部が傾斜しており段がある。

バス路線

吉野山駅 - 奥千本間を運行している。日中のみ60分ごと運転。春の多客期には道路が花見客で混雑し定時運行が困難となるため吉野山駅 - 竹林院前間は運休となり、竹林院前(上千本) - 奥千本間のみの運行となる代わりに増発される。また、冬季の一部期間は全線運休となる。

使用されるバスは、マイクロバス(三菱ふそうローザトヨタ・コースター)がメーカー標準塗装のまま用いられており、一見すると自家用バスに見えるが、正規の路線バスである。

1990年代初めまで、1960年代製造のトヨタおよびいすゞ自動車キャブオーバー型バスが在籍していたことでも知られる。

脚注

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外部リンク


  1. 齋藤達男『日本近代の架空索道』コロナ社、1985年、290頁
  2. 『日本全国諸会社役員録. 第36回(昭和3年)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  3. 『日本全国諸会社役員録. 第42回(昭和9年) 』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  4. 『日本全国諸会社役員録. 第43回(昭和10年)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)