済生会
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済生会(さいせいかい、Social Welfare Organization Saiseikai Imperial Gift Foundation, Inc.)は、日本の慈善事業団体である。正式名称は、社会福祉法人恩賜財団済生会(おんしざいだんさいせいかい)。
概要
青森・秋田・岐阜・徳島・高知・沖縄の6県を除く41都道府県で、病院や診療所などの医療機関、老人や障害者などの福祉施設を開設・運営している。もともとの設立の趣旨は経済的に恵まれない人々に医療を提供することであり、全国の済生会病院の多くは、貧困層が多く定住するとされる駅周辺に建てられることが多かった。近年では茨城県立こども病院や大阪府立千里救命救急センターのように、公立病院の運営を済生会に委託したり、指定管理者として管理させている施設もある。
名称は明治天皇の勅語に由来し、恩賜財団の文字は小さくして2段の組み文字にするのが公式な表記である。ただし登記上はこのような表記ができないので一行で表記している。
済生会系列の病院はすべて慶應義塾大学病院の関連病院会に所属している。
歴史
- 1911年(明治44年)2月11日、明治天皇の『済生勅語』によって、皇室よりの下付金150万円と朝野の寄付金を合わせて創設される。天皇の意向により「恩賜」と「財団」は1行に書かずに、済生会よりも小さい文字で2行に組み文字にすることとなっている[1]。
- 同年5月30日、「恩賜財團済生會」設立認可。8月21日、財団発足。初代総裁に伏見宮貞愛親王、初代会長に桂太郎(総理大臣)。組織の運営は内務省が管理し、具体的な事業計画は地方自治体に委託する形式をとった。
- 1912年、東京に深川診療所・本所診療所開設。
- 1913年、横浜市西区岡野町に第一号病院として神奈川県病院開設。のち横浜大空襲により焼失し、戦後移転。
- 同年、第二代会長に徳川家達就任。
- 1915年、本部直営の基幹病院として「恩賜財団済生会芝病院(現・東京都済生会中央病院)」開設。初代院長として北里柴三郎が就任。
- 1952年、社会福祉法人として認可。
現在は、厚生労働省が所轄している。
設立時の代表者
歴代総裁
役員
- 総裁:秋篠宮文仁親王
- 会長:豊田章一郎
- 理事長:炭谷茂
本部
支部
青森・秋田・岐阜・徳島・高知・沖縄の6県を除く41都道府県