イスラム革命防衛隊
イスラム革命防衛隊(イスラムかくめいぼうえいたい、ラテン文字転写:Sepah-e Pasdaran-e Enghelab-e Islami)は、イランの軍隊のひとつ。
1979年のイラン・イスラム革命後、旧帝政への忠誠心が未だ残っていると政権側から疑念を抱かれた従来の正規軍であるイラン・イスラム共和国軍への平衡力として創設されたイラン・イスラム共和国の軍事組織。正規軍(英:Artesh)と並行して独自の陸軍、海軍、空軍、情報部門、特殊作戦部門を有し、また戦時には数百万人単位で大量動員できる民兵部隊バスィージ(英:Basij)も管轄している。革命防衛隊は国防省ではなく革命防衛隊省の統制下にある。前イラン大統領であるマフムード・アフマディーネジャードもイスラム革命防衛隊の一員であった。
目次
概要
ルーホッラー・ホメイニーの帰国後、1979年5月5日、その命令によりイスラム革命防衛隊が設立された。当初、イスラム革命防衛隊の任務は、革命を防衛し、イスラムのシャリーアと道徳の執行において法学者を援助する[1]こととされ、法学者に直属する組織として計画された。12人の議員から成る革命会議は、3万人の革命防衛隊員を指揮し、革命防衛隊総司令官には、アーヤトッラー・ラフティ、その参謀長には、ハーシェミー・ラフサンジャーニーとゴラームアリー・アフロウズが任命された。
この控えめな始まりから、革命防衛隊は次第に拡大し、正規軍に匹敵する戦力となった。1986年には、35万人にまでなり、小さな海上部隊と航空部隊をも獲得した。
英語圏での多くのメディアでは「Islamic Revolutionary Guards」、または単に「Revolutionary Guards」と呼ばれている。アメリカ合衆国のメディアでは「Islamic Revolutionary Guard Corps 、IRGC」、イギリスでは「Iranian Revolutionary Guard 、IRG」と呼ばれる。現在の総司令官は、2007年9月1日に前任のヤフヤー・ラヒーム・サファヴィーからモハンマドアリー・ジャアファリーに引き継がれた。[2]
規模
- 革命防衛隊:約12万5,000人
- 陸軍:約10万人
- 空軍:4,000~5,000人
- 海軍:約2万人 (うち海兵隊:5,000人) 艦艇:フリゲート3、コルベット2、小型艇1,500艇ほど
- 特殊作戦部隊(クアトアル・ゴドス):約1万5,000人
- 民兵・義勇兵部隊「バスィージ」
- 正規将兵:約9万人
- 予備役将兵:約30万人
- 戦時には1,100万人程度まで拡大できる余地がある。
(イランの正規軍の規模)
- 総兵力:約42万人
- 陸軍:約35万人
- 海軍:約1万8,000人(含む海兵隊2,600人)
- 空軍:約5万2,000人
編成と装備
装備については不明な部分が多い。
革命防衛隊 陸軍
数個機甲師団と十数個歩兵師団、いくつかの独立旅団。1つの独立空挺旅団。
革命防衛隊 海軍
- 沿岸戦闘艇部隊
- スェーデン製のボガマール・マリン級(Boghammar)の高速パトロ-ル艇x40艇以上
- ホウドン級高速ミサイル艇x10艇
- 英フリゲートx3、米コルベットx2、掃海艇x5、輸送艦艇x13
- 米P3-F海洋哨戒機x5、電子戦機x3、掃海ヘリRH-53Dx3、対潜ヘリSH-3Dシーキングx約10
- 沿岸ミサイル部隊
- 中国製HY-2ミサイル 多数
- 海兵隊:約5,000名
革命防衛隊 空軍
- 戦闘機部隊 (航空機部隊は存在しないとの情報あり)
- 弾道ミサイル部隊 SRBM旅団x1~2個旅団、MRBM旅団x2個旅団
- テンプレート:仮リンク(射程:300km、スカッドB 北朝鮮から購入)50から300発保有
- テンプレート:仮リンク(射程:500km、スカッドC 北朝鮮との共同制作)50から150発保有
- シャハーブ3(射程:1,300~2,500km、北朝鮮のノドンからコピー 3,3A,3Bという複数タイプがある)最大で48発保有
シャハーブ1と2で12から18基の発射機シャハーブ3、シャハーブ3用の発射機6基を保有と思われる。
ゴドス軍
革命防衛隊は、国外での特殊作戦のために、イラン・イラク戦争中に特殊部隊、ニールーイェ・ゴドス(ゴドス軍)を創設した。兵力は5千人から1万5千人と推定されている。司令官はガーセム・ソレイマーニー将軍。
任務は、イランが支援する各国の武装組織(ヒズブッラー、ハマース、イラクのシーア派民兵等)に対する軍事訓練や活動の調整、敵国(イスラエル、アメリカ、イラク)に対して破壊工作を展開し、国外のイラン反体制派の排除を行っている。元CIA工作員のロバート・ベアによれば、アル=ゴドス軍の構成員は通信傍受を警戒して、電話などの電子通信機では無く伝令を使って互いに交信しているとされる[3]。
西側の情報によれば、1979年~1996年に70人以上の反体制活動家が暗殺された。著名なテロ行為の中には、元イラン首相シャープール・バフティヤール(1991年8月、パリ)と、イラン領クルディスタン民主党指導者サーディフ・シャラーフ=キンディ(1992年9月、ベルリン)の暗殺があるテンプレート:要出典。
また日本でも無関係でなく、1990年に反イスラーム的とされるサルマーン・ラシュディーの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳した筑波大学助教授の五十嵐一が、1991年7月11日、筑波大学の校内で何者かにより刺殺されており、イラン特殊部隊による暗殺が有力視されている[4]。
アル=コドス軍が最初に関与したと疑われているテロ活動は、1983年にレバノンの首都ベイルートで起きた米海兵隊宿舎爆破事件である。1994年にアルゼンチンのブエノスアイレスにあるユダヤ文化センター爆破テロや1996年に米兵19人が死亡したサウジアラビアのフバルで起きた、フバルタワー爆破事件もコドス軍の犯行若しくは支援があったと言われている[3]。
2007年に発表された戦略国際問題研究所の報告書によれば、各国にあるイラン大使館にはアル=ゴドス軍のための特別な「部門」が設置されており、大使館職員には接触が禁止されているという。また駐在大使もアル=ゴドス軍がどういう活動をしているのか把握していないとされる[3]。
2011年7月には、イラク米軍のブキャナン報道官がイラクで活動するシーア派武装組織カターイブ・ヒズブッラーによる攻撃が、アル=ゴドス軍が支援によって増加していると語った。2007年2月のインタビューで当時のブッシュ大統領もアル=ゴドス軍がイラク国内のテロ組織にIEDを供給したと主張していた[3]。
また、アル=カーイダとの関係も指摘されている。2001年に始まったアメリカ軍主導のアフガニスタン空爆以降、イランに逃亡したウサーマ・ビン=ラーディンの息子サアド・ビン=ラーデイン等、アフガンから逃亡してきた複数のアル=カーイダ幹部と接触していたとされる。この際、サアド・ビン=ラーディンがアル=カーイダのナンバー2にあたるアイマン・ザワーヒリーとアル=ゴドス軍との間の交渉を仲介したとされる[5]。
また、西側情報当局とアフガニスタン情報機関によれば、ターリバーン指導部が国際治安支援部隊の戦闘に備えるため、支援を求めてアル=ゴドス軍幹部と接触したと主張している[3]。
民兵部隊(バスィージ)
イラン・イラク戦争時、兵員不足に悩まされたイランは、イスラム革命防衛隊の傘下で大量の義勇兵を前線に送り込んだ。同戦争における彼らの活躍を目にして、イラン指導部は、民兵部隊を制度化し、バスィージ(サーズマーネ・バスィージェ・モスタズアフィーン)を創設することに決めた。
バスィージは、軍事部隊と宗教宣伝部隊に2分される。軍事部隊は、地域的特徴で編成され、350~420人ずつの800個までの大隊を含む。大隊は、志願制により12歳から60歳までの男性で編成される。婦人大隊(200人以下)も存在し、彼女らは、出版社、啓蒙及び慈善施設の重要ポストを占め、宗教宣伝部隊を構成している。
毎年11月26日、バスィージの総合演習がイラン全土で行われている。この日、150万人の参加者中から、軍事訓練、身体的発達、クルアーン及びホメイニー師の教えの知識における数千人の優秀者が選抜され、バスィージのエリートに編入される。彼らは、バスィージの教育センターで新しい民兵を教育し、マスコミで働き、外交使節団の構成下で国外に派遣され、外交団と民間勤務の緊急補充員となる。
バスィージは、その強力な動員力故に、保守派の票田ともなっている。
歴史
イスラム革命防衛隊の主な役割は国家安全保障にあり、法執行機関として国内の治安維持と国境警備を担当している。また、大規模なミサイル部隊も保有している。イスラム革命防衛隊の作戦は従来型の戦闘ではなく非対称型の戦闘方法に主眼を置いている。それには密輸やホルムズ海峡の掌握と抵抗作戦が含まれる。革命防衛隊と正規軍という2つの兵力が異なったやり方で作戦を進めることで、より正統的な作戦方法をとるイラン正規軍とは補完的な関係にある。 1979年5月のイラン革命時に、アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニーに忠誠を誓う兵力として誕生した。その後のイラン・イラク戦争時には正規軍と並んで、完全な軍事組織として整えられた。
ラマダン作戦のバスラ市に対する突撃時の革命防衛隊の人海戦術攻撃はあまり知られていない。1982年にバスラの近くで行なわれたラマダン作戦と呼ばれる、双方合わせて8万人が死亡し20万人が受傷したこの戦闘では、欧米諸国の軍事援助を受けたイラクの近代兵器の前に、銃を手にした12-80歳までの戦闘訓練を受けたことのない民兵達を中心とする10万人のイラン兵が徒歩でイラクへの地雷原を越えて進み、化学兵器の攻撃を受けながら、何の戦闘指揮も受けないまま倒れていった。4万5,000人が捕虜となった。
その他
米国によるテロ支援組織指定
2007年8月、米ワシントンポスト紙は、米国ブッシュ政権がイスラム革命防衛隊を「テロ組織」に指定するか検討中と報道した。同年10月25日、米政府は革命防衛隊のアルクッズ(エルサレム)部隊をテロ支援組織に指定した。この指定を受けると自動的に、米国は2001年9月23日制定の大統領令13224号に基づき「テロあるいはテロリストへの資金提供に関わったとされる個人および組織に対する海外取引の全面凍結措置」が実施される。
関連項目
註
- ↑ ここでは文字通り、法学者としか訳せない「ファギーフ」を援助すると規定されている。「イスラム知識人」や「ウラマー」(アラビア語:علماء ʿulamāʾ)などをどう訳すかについては議論がある(これについてはウラマーを参照)がここでは関係ない。しかしながらウラマーをどう訳すかという問題とは別に、イランにおけるシーア派十二イマーム派オスーリー派においては19世紀以降位階制ともとれる状況が発生しており、ペルシア語「アーホンド」は日本語で言う「坊主」に近い言葉となっている。このような点から、イスラームにおけるウラマーのあり方をすべて「聖職者」ととるのは、キリスト教における信徒と聖職者の厳然たる境界を思い起こさせるもので必ずしもふさわしいとはいえないが、現代イランにおけるウラマーやファギーフ(=法学者)については、学術的にも「聖職者」の語は必ずしも失当とはいえない。
- ↑ テンプレート:Cite encyclopedia
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 http://www.thenewstribune.com/2011/10/13/1863421/ambassador-plot-casts-light-on.html
- ↑ ザ・パージァン・パズル』小学館、2006年
- ↑ http://www.jamestown.org/programs/gta/single/?tx_ttnews%5Btt_news%5D=866&tx_ttnews%5BbackPid%5D=239&no_cache=1