エスクデロ・セルヒオ
テンプレート:サッカー選手 エスクデロ・アリエル・セルヒオ(Sergio Ariel Escudero、1988年(昭和63年)9月1日 - )は、日本のサッカー選手。スペイン、グラナダ出身。ポジションはフォワード、オフェンシブハーフ、サイドハーフ。Kリーグ・FCソウル所属。
来歴
父親のセルヒオ・エスクデロが浦和レッドダイヤモンズでプレーし、引退後にも浦和下部組織の育成に携わったことから、3歳から8歳までを日本で過ごす。その後アルゼンチンへと帰国したが、2000年に再度来日。以後柏レイソル青梅を経て、ジュニアユース、ユースと浦和の下部組織に所属。
2005年4月29日、16歳7ヶ月の若さで浦和トップチーム登録[1]。同年5月21日のナビスコカップ第3節、対アルビレックス新潟戦において16歳8ヶ月21日でJリーグ公式戦デビュー。9月8日、浦和とプロ契約を締結した[2]。埼玉県の埼玉栄高校(父が同校サッカー部を指導)に在学していたが、プロ入りと同時に退学。
2006年3月29日のナビスコ杯・FC東京戦でプロ初ゴール[3]。2007年6月11日には日本国籍を取得。2008年5月15日にフランスで行われたトゥーロン国際大会に向けたU-23日本代表に初選出された。
浦和ではサポーターの高い期待を集めつつも、出場機会に恵まれなかったが、2009年フィンケ監督が就任すると、途中出場やスタメンとしてコンスタントに出場を重ねるようになり、5月5日の柏レイソル戦でリーグ戦初ゴールを挙げた。 その後は度々負傷で離脱することもあったが、最終的には自己最多となる公式戦30試合に出場した。
2010年はキャンプ中から好調を維持し、3月6日の鹿島アントラーズ戦で自身初の開幕スタメン出場を果たしたが、その後は度重なる負傷に悩まされ復帰しては再発をして離脱するを繰り返し、前年より出場試合数は減ってしまった。ただし、8月21日の湘南ベルマーレ戦、9月25日のアルビレックス新潟戦では貴重な追加点となるゴール、11月27日の川崎フロンターレ戦では試合終盤に同点ゴールを決めるなど、度々チームを救う活躍を見せることもあった。
2011年は終盤戦まで出場機会に恵まれなかったが、監督が堀孝史に交代後は1トップのFWとして定着し、高い身体能力を生かしたプレーで前線の起点になっていたが、11月26日のアビスパ福岡戦の前半に相手GKと接触した際に負傷し途中交代、左半膜様筋損傷と診断され[4]、以降全ての公式戦を欠場した。
2012年は負傷が続き、浦和ではリーグ戦1試合に途中交代で出場したのみに留まっていた。同年7月17日、韓国Kリーグ・FCソウルへの半年間の期限付き移籍が発表された(オプションで完全移籍あり)。移籍後はスタメンを勝ち取り、主力として2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。同チームに所属する日本国籍の選手は、前園真聖(当時のチーム名は安養LGチーターズ)以来2人目となる。シーズン終了後の同年12月、完全移籍を発表している。
2013年は背番号を9に変更し、2012年に引き続き主力としてプレー。一時は調子を落としたが監督の崔龍洙からのアドバイスから建て直し、チームの初AFCアジアチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献した。決勝では、自身初出場し(浦和レッズ在籍時にチームは決勝に出場したが、ベンチ外だった)1stレグで先制点をあげ、その後逆転を許したがデヤン・ダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついた。2ndレグでも再びダミヤノヴィッチのゴールをアシストし同点に追いついたが、アウェーゴールの差で優勝は逃した。
人物
- 16歳8ヶ月21日でJリーグ公式戦デビュー。
- 元々はアルゼンチンとスペインの2重国籍だったが、2007年6月11日に日本国籍を取得(なお、父のセルヒオも同時に帰化している)。
- ブラジルのグレミオに所属しているダミアン・エスクデロ(アルゼンチンU-23代表)は従兄弟にあたる。
- 日本とアルゼンチンで育ったが、日本の方が長かったため日本語が第一言語。スペイン語も堪能。家族との会話はスペイン語。
- 当時チームメイトだった田中マルクス闘莉王のアドバイスから北京オリンピックサッカー日本代表に選ばれた際、登録名を漢字表記の競飛王に変更しようとしていた、しかし代表登録の遅れから選出されず登録名変更も無くなってしまった。しかし何時代表に呼ばれても良い様にスパイクには競飛王の刺繍が入っている。
- ハンバーガーとコーラが大好物であり、体重の増加に苦しんでいた。近年テンプレート:いつでは自重して体重を絞り込むなどプロ意識を強く持つようになってきている。
- 2010年8月21日に行われた湘南ベルマーレ戦でゴールを決めた際、喜びのあまりユニフォームをまくり上げ上半身を露出したことでイエローカードを受けてしまった。この時はこれで通算4枚目のイエローカードとなってしまい、累積警告で次節の鹿島アントラーズ戦に出場することができなくなってしまった。
- ACL決勝で、広州恒大足球倶楽部相手に2試合で1ゴール・2アシストの活躍で、監督のマルチェロ・リッピは「彼はアジアナンバーワンだ」と言わしめた[5]。
- 2013年12月8日、結婚したことを発表した[6]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 1996年 - 2000年 テンプレート:Flagicon CAベレス・サルスフィエルド
- 2001年 - 2002年 テンプレート:Flagicon 柏レイソル青梅
- テンプレート:Flagicon 浦和レッドダイヤモンズジュニアユース
- 2004年 - 2005年 テンプレート:Flagicon 浦和レッドダイヤモンズユース
- プロ経歴
- 2005年4月 - 2012年7月 テンプレート:Flagicon 浦和レッドダイヤモンズ
- 2012年7月 - 現 在 テンプレート:Flagicon FCソウル (2012年は期限付き移籍)
個人成績
As of 2014-05-10 テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2005||rowspan="8"|浦和||rowspan="2"|34||rowspan="8"|J1||5||0||2||0||0||0||7||0 |- |2006||1||0||3||1||0||0||4||1 |- |2007||rowspan="6"|15||1||0||0||0||0||0||1||0 |- |2008||13||0||1||0||2||1||16||1 |- |2009||23||3||7||1||0||0||30||4 |- |2010||17||3||3||0||2||1|||22||4 |- |2011||20||1||6||1||0||0||26||2 |- |2012||1||0||0||0||colspan=2|-||1||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2012||rowspan="3"|ソウル||26||rowspan="3"|Kリーグ||20||4||colspan=2|-||colspan=2|-||20||4 |- |2013||9||34||4||colspan=2|-||3||0||37||4 |- |2014||9||11||2||colspan=2|-||1||0||12||2 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始81||7||22||3||4||2||107||12 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行65||10||colspan=2|-||4||0||69||10 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終146||17||22||3||8||2||176||22 |}
テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2008||浦和||15||1||0 |- |2013||ソウル||9||12||2 |- |2014||ソウル||9||7||1 |- !通算!!colspan="2"|AFC |13||2 |}
経歴
- 公式戦初ベンチ: 2005年5月21日 ナビスコカップ第3節 vsアルビレックス新潟戦(埼玉スタジアム)
- 公式戦初出場: 公式戦初ベンチと同
- 公式戦初得点: 2006年3月29日 ナビスコカップ vsFC東京戦(駒場スタジアム)
- Jリーグ初ベンチ: 2005年7月18日 J1第17節 vsサンフレッチェ広島戦(埼玉スタジアム)
- Jリーグ初出場: 2005年7月23日 J1第18節 vs清水エスパルス戦(日本平スタジアム)
- Jリーグ初得点: 2009年5月5日 J1第10節 vs柏レイソル戦(国立競技場)
代表歴
- 2008年 U-23日本代表(北京五輪代表候補メンバー)