小林一茶
テンプレート:Infobox 作家 小林 一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日)- 文政10年11月19日(1828年1月5日))は、江戸時代を代表する俳諧師の一人。本名を小林弥太郎。別号は、圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など。[1][2]。
目次
経歴
宝暦13年(1763年)信濃北部の北国街道柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)の中農の長男として生を受ける。3歳の時に生母を失い、8歳で継母を迎える。継母に馴染めず、安永6年(1777年)、14歳の時、江戸へ奉公に出る。
25歳のとき小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して俳諧を学ぶ[3]。
寛政3年(1791年)、29歳の時、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。
享和元年(1801年)、39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後遺産相続の件で継母と12年間争う。父の発病から死、初七日を迎えるまでの約1ヶ月を描いた『父の終焉日記』は、私小説の先駆けと言われる。
文化9年(1812年)、50歳で故郷の信州柏原に帰り、その2年後28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。きくも痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。62歳で2番目の妻(田中雪)を迎えるが半年で離婚する。64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける(やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えた。1873年に46歳で没)。
残された日記によれば、結婚後連日連夜の交合に及んでおり、妻の妊娠中も交わったほか、脳卒中で58歳のときに半身不随になり63歳のときに言語症を起こしても、なお交合への意欲はやむことがなかった[4]。
文政10年閏6月1日(1827年7月24日)、柏原宿を襲う大火に遭い、母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。そしてその年の11月19日、その土蔵の中で64年半の生涯を閉じた。法名は釈一茶不退位。
俳号「一茶」の由来
『寛政三年紀行』の巻頭で「西にうろたへ、東にさすらい住の狂人有。旦には上総に喰ひ、夕にハ武蔵にやどりて、しら波のよるべをしらず、たつ泡のきえやすき物から、名を一茶房といふ。」と一茶自身が記している。
作品
作風
正岡子規は「俳人一茶」(1897)の「一茶の俳句を評す」の中で「俳句の実質に於ける一茶の特色は、主として滑稽、諷刺、慈愛の三点にあり。」と述べている。幼少期を過ごした家庭環境から、いわゆる「継子一茶」、義母との間の精神的軋轢を発想の源とした自虐的な句風をはじめとして、風土と共に生きる百姓的な視点と平易かつ素朴な語の運びに基づく句作が目を引く。その作風は与謝蕪村の天明調に対して化政調と呼ばれる。
代表的な句
- 雪とけて村いっぱいの子どもかな
- 大根(だいこ)引き大根で道を教へけり
- めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春
- やせ蛙(がへる)まけるな一茶これにあり
- 悠然(いうぜん)として山を見る蛙(かへる)かな
- 雀の子そこのけそこのけお馬が通る
- 蟻(あり)の道(みち)雲の峰よりつづきけん
- やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
- 名月をとってくれろと泣く子かな
- これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺
- うまさうな雪がふうはりふうはりと
- ともかくもあなたまかせの年の暮(くれ)
- 我ときて遊べや親のない雀
一茶の作った句の数
一茶のつくった句は約22,000句。[5]で、芭蕉の約1,000句、蕪村の約3,000句に比べ非常に多い。最も多くの俳句を残したのは、正岡子規で約24,000句であるが、一茶の句は類似句や異形句が多いため、数え方によっては、子規の句数を上回るかもしれない。よく知られている「我と来て遊べや親のない雀」にも、「我と来て遊ぶや親のない雀」と「我と来て遊ぶ親のない雀」の類似句があり、これを1句とするか3句とするかは議論の分かれるところである。
現代の一茶研究で最も権威のある『一茶全集』第1巻(信濃毎日新聞社、1979年)には、一茶のほぼ全作品が収録されている。なお、その後の発行された『一茶発句総索引』(信濃毎日新聞社、1994年)で、198句が新出句として追加されるとともに、『一茶全集』第1巻に久保田兎園等の句が40数句あったと記述されている。一茶の句の発見は、これ以後も続き今日に至る。
平成に発見された一茶の句
- ちるひとつ咲のも一つ帰り花(2013年11月)
- けふもけふも霞はなしの榎かな(2011年4月)
- 一株の芒をたのむ庵哉(2010年5月)
- 稲妻のおつるところや五十貌(2010年5月)
- 猫の子が手でおとす也耳の雪(2010年2月)
- 菜の虫ハ化して飛けり朝の月(2009年4月)
- 羽根生へてな虫ハとぶぞ引がへる(2009年4月)
代表句集等
生前の一茶の著書には、『旅拾遺』『さらば笠』『三韓人』などがあるが自身の俳書はない。著名な『一茶発句集』『おらが春』は没後に刊行されたもので、「寛政三年紀行」「父の終焉日記」「我春集」「株番」「志多良」もいずれも遺稿である。また、「寛政句帖」「享和句帖」「文化句帖」「七番日記」「八番日記」「文政句帳」など克明な記録は、いずれも出版を意図して書かれたものではなく、一茶のプライバシーまでも公にしてしまっている。
など
小林一茶の登場する作品
- 小説
- 藤沢周平『一茶』 文藝春秋 1978 のち文庫
- 井上ひさし『小林一茶 』1980 中公文庫
- 田辺聖子『ひねくれ一茶』1995 講談社
- 笹沢佐保『俳人一茶捕物帳 涙の弥次郎兵衛』1989 光文社 他シリーズ
- 映画・テレビ等
- 「信濃風土記より 小林一茶」 1941年16mm 製作:東宝 監督:亀井文夫、解説:徳川夢声
- 「一茶と歩む 信濃奥紀行」 1998年 DVD テイチクエンタテインメント、ナレーション・歌:さだまさし
- 「おらが春」(2002年、NHK正月時代劇) - 小林一茶:西田敏行
- 「まんが偉人物語 小林一茶」(1978年、毎日放送 TBS)
- 歌
- 「一茶さん」 歌:有島通男・新谷恭子・春日八郎、作詞:中條雅二、作曲:中野二郎
- 「一茶と子供」 歌:川田孝子・伊藤久男、作詞:加藤省吾、作曲:八洲秀章
- 「一茶どん」 歌:上原敏、作詞:佐藤惣之助、作曲:長津義司
- 「旅行く一茶」 歌:三橋美智也、作詞:伊吹とおる、作曲:佐伯としを
- 「一茶の雀」 歌:KONISHIKI、作詞:日暮真三、作曲:BANANA ICE
- 「信濃山国――俳諧寺一茶」 歌:岡本敦郎、作詞:石原広文、補作詞:草井吟南、作曲:町田 等 [6]。
資料館・博物館
- 一茶記念館(長野県信濃町)
- 一茶ゆかりの里 一茶館(長野県高山村)
- 一茶双樹記念館(千葉県流山市)
- 小林一茶・荻原井泉水記念俳句資料館(長野県山ノ内町) 2013/11閉館
- 袋屋美術館(長野県中野市)
脚注
関連項目
外部リンク
- 一茶記念館(一茶のふる里)
- 歴史公園信州高山「一茶ゆかりの里 一茶館」(一茶の真筆50点余りを収蔵、公開)
- 一茶の俳句データベース(一茶研究会)(一茶の俳句約2万2千句を掲載)
- 一茶の俳句を探す
- 信濃町オフィシャルホームページ
- 一茶の俳句ホームページ (Issa's Haiku Home Page in English and Japanese)
- 一茶の碑巡礼(一茶の句碑などのリンク集)
- 一茶に学ぶ会(旧一茶研究会)