松平直明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年11月11日 (月) 09:46時点における210.162.60.12 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 武士 松平 直明(まつだいら なおあきら)は、江戸時代中期の大名越前大野藩第2代藩主、播磨明石藩初代藩主。直良系越前松平家2代。

生涯

明暦2年(1656年)江戸にて越前大野藩初代藩主・松平直良の三男として生まれる。兄2人が直明の出生前に没していたため、末子ではあるが世継候補となった。万治元年(1658年)に領国の大野へ移り、同地で育つ。寛文7年(1667年)、江戸に赴き正式に直良の世子となり、初めて4代将軍徳川家綱に拝謁した。

寛文9年(1669年)、従五位下、若狭守を叙任する。寛文11年(1671年)、伊予松山藩主・松平定頼の養女・仙姫を正室として迎えた。延宝3年(1675年)、従四位下に昇進する。延宝6年(1678年)、直良が没し、大野藩を襲封する。天和2年(1682年)、1万石加増の6万石で明石に転封となる。元禄10年(1697年)、美作津山藩主・森衆利改易となったため、津山城受け取りに赴いた。元禄14年(1701年)、家督を長男の直常に譲って隠居した。翌元禄15年(1702年)、市正を称する。享保元年(1716年)、正室の仙姫が病没する。享保6年(1721年)、明石城二の丸にて病没した。享年66。

参考文献

  • 黒田義隆編著『明石藩略史』明石葵会、1981年


テンプレート:大野藩主 テンプレート:明石藩主