侠客
侠客(きょうかく)とは、強きを挫き、弱きを助ける事を旨とした「任侠を建前とした渡世人」の総称。
歴史上の侠客
基本的に侠客なる職業は歴史上存在せず、封建時代における風俗の形態の一つとして捉えるのが一般的である。
中国の春秋時代から義侠に厚い人々がおり、施しの見返りとして恩人に対し法を破り命を果たしてでも礼を果たしていたという。戦国時代に登場した戦国四君は食客として侠客を採用し活躍したとされている。史記に「遊侠列伝」という侠客の記述が残され、また前漢を築いた劉邦も最初は侠客であったとされている。
日本の室町時代における悪党が土地に縛られず法外者であったのに比べ、江戸幕府は宗教と住居の両面から大衆を支配している。決められた場所で決められた支配者に従い、貢納することで競争による脱落が生じずに生活が保障されるのが封建時代の特徴であり、農村経済の破綻までこのシステムが運用されていく。
但、17世紀初期に幕府が大坂や江戸の橋や河川、主要道路を整備して都市機能を持たせる政策を打ち出した時点ではまだトップダウンだけでは無理があり、多くの牢人に労務管理としての口入業を行わせている。彼らが独自に生み出した珍奇な衣装、言動といったものが都市文化の風俗として捉えられたのが侠客である。これと同時に武士階級であっても存在価値を問われている遊民たちも独自の「風俗」を生じている。すなわち無為無禄の状態に置かれた旗本の次男以下からなる旗本奴。旗本奴に反発する庶民による町奴と謂われる者が侠客であり、19世紀の浮浪(博徒も含まれる)とは大きく意味合いは異なる。
現象としての侠客
これについては宮崎学が愚連隊の元祖と呼ばれた万年東一を評した説明が、最も理解しやすい。すなわち、闘争の場も「遊び」とする者たちであるホモ・ルーデンスがその精神を発露する現象である。社会的制度や圧力を前にして、友愛や恋情ではなく自己の勇気により自己保存の本能を乗り越える形である。但、この発現の過程については、ただ現象として「ある」としか説明はないため理解しづらい面が多い。万年自身は、後に作家となった安部譲二に「平気で損ができるのが任侠で、損ができないのは任侠ではない」と喝破している。
主な侠客
関連書籍
- 猪野健治『ヤクザと日本人』 (現代書館、1993年、ISBN 4768466346:筑摩書房-ちくま文庫、1999年、ISBN 4480034846)
- 猪野健治『侠客の条件―吉田磯吉伝』 (双葉社-双葉新書、1977年:筑摩書房-ちくま文庫、2006年、ISBN 4480422765)