白くま
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白くままたは白熊(しろくま)は鹿児島県鹿児島市発祥の氷菓またはアイスクリーム類。氷白熊(こおりしろくま)とも呼ばれる。
かき氷の上に加糖練乳をかけ、缶詰などの果物を盛り付け、その上に小豆餡を載せたものが本来の姿。鹿児島市発祥で、市内の喫茶店や飲食店で提供されている。持ち帰り用にカップに入れて販売され、また、カップ入り氷菓やバー状のアイスミルクなどの類似した材料や風味の工場製品としても製造されている。白くま(白熊)という名前の由来については、下記の通り諸説ある。
鹿児島市ではかき氷の代表として昭和前期から親しまれ、近年では観光ガイド本やABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』やHTB『水曜どうでしょう』、『元祖!でぶや』などの番組で取り上げられたこともあり、全国的に知名度が高い。また、福岡県などの県外でも作られている。
名前の由来
テンプレート:出典の明記 白くま(白熊)という名前の由来については諸説あるが、商標権など、特に大きな問題とされていないこともあり、今となっては真相は定かではない。
- 1932・1933年ごろ、鹿児島市の西田本通りにあった綿屋が夏の副業としてかき氷を販売しており、新メニューとして作られた、練乳をかけたかき氷の名前を考える際、練乳の缶に貼られていたラベルに描かれた白熊(ホッキョクグマ)の絵より借用して使った、という説(この説はセイカ食品、鹿児島県が採用)。「白くま」というネーミングを打ち出した戦前のものは、フルーツなどの飾りがなく、今でいうミルク(練乳)かけのかき氷だったようである。
- 1947年、鹿児島市の喫茶店、むじゃきの久保武がミルクのシロップをかけたかき氷を考案し、そのかき氷を豪贅に見えるようにみつ豆の材料だった、三色寒天、サイコロ状に切り落とした羊羹、豆、缶詰のフルーツを色鮮やか盛り付けて出したところたちまち評判となった。上から見た姿が白熊に似ている(トッピングの干しぶどうがまるで白熊の目のように見えたため)ことから「白熊」と命名した、と言う説[1](この説は主にむじゃきが主張。時期、店名の限定なしで、丸永製菓が採用[2])。
販売店
- 鹿児島市で最も有名な店は、天文館にある「天文館むじゃき」の「白熊」。現在はプリンやヨーグルトを乗せた物も含め、各種風味のものを提供している。夏になると店前に列を成すこともある。それだけあって、本来は夏季限定であるカップ入り大判750ccの白くまを年中通して販売している。鹿児島県外でも、近年はデパートの「鹿児島物産展」で出張販売されるようになり、広島県の福屋など通年販売している店もある。また、通販も行われている。
- 鹿児島市内では多くの飲食店で夏に提供されている。
- 東京では有楽町の「かごしま遊楽館」2Fのレストランや、池袋のナムコ・ナンジャタウンにて、期間限定ながら楽しむことができる。
- 鹿児島県のスーパーや駄菓子屋で販売される最もポピュラーなカップ入りかき氷は「白くま」である。鹿児島市のセイカ食品の「南国白くま」は南九州のスーパーマーケットや駄菓子屋の定番商品で、カップ入り(ラクトアイス)、アイスバータイプ(アイスミルク)など様々な商品がある[3]。
- 福岡県久留米市の丸永製菓の「九州名物」と書かれたカップ詰め品(しろくま、白くま)やアイスバータイプのもの(白くま。ラクトアイス)はコンビニエンスストアやスーパーマーケットを中心に全国各地で販売されている。また、柔らかいアイスミルクに飾り付けを施したカップ詰め品の「白くまパフェ」などの商品も販売している[4]。
- 福岡県朝倉市のロイヤル食品は、セブン&アイ・ホールディングスのカップ詰め「白くま」(ラクトアイス)のOEM生産を請け負っており、セブン-イレブンやイトーヨーカ堂、ヨークベニマルなどで販売されている。フルーツをイチゴだけにした「いちごがおいしい白くま」が2012年に発売された[5]。
- 大阪市の林一二(センタン)は微細氷入りのバータイプ「白くま」を製造販売している[6]。
- 九州地方に多い袋詰めかき氷に「白くま」は存在しない(袋詰め氷はもともと鹿児島に存在しなかったため)。
代表的なメーカー
- セイカ食品(南国白くま)
- 丸永製菓(カップ詰め氷菓、アイスバー、カップ詰めパフェ)
- ロイヤル食品(カップ詰めラクトアイス)
- センタンアイスクリーム
脚注
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