ハルマゲドン
ハルマゲドン(アルマゲドン、ハーマゲドンと表記される場合もある、希:Ἁρμαγεδών、英:Armageddon、日本語では最終戦争)は、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉のカタカナ音写。ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。メギドは北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった(著名なものに、トトメス3世のメギドの戦いなど)。このことから「メギドの丘」という言葉がこの意味で用いられたと考えられている。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である。(戦争を終わらせる最後の戦争。一説では大艱難の頂点がハルマゲドンとも言われている。)
目次
キリスト教の教理
聖書
ヨハネの黙示録16章にはこのように書かれてある。
我また聖所より大なる聲ありて、七人の御使に『往きて神の憤恚の七つの鉢を地の上に傾けよ』と言ふを聞けり。かくて第一の者ゆきて其の鉢を地の上に傾けたれば、獸の徽章を有てる人々とその像を拜する人々との身に、惡しき苦しき腫物生じたり。第二の者その鉢を海の上に傾けたれば、海は死人の血の如くなりて、海にある生物ことごとく死にたり。第三の者その鉢をもろもろの河と、もろもろの水の源泉との上に傾けたれば、みな血となれり。われ水を掌どる御使の『いま在し昔います聖なる者よ、なんぢの斯く定め給ひしは正しき事なり。彼らは聖徒と預言者との血を流したれば、之に血を飮ませ給ひしは相應しきなり』と云へるを聞けり。我また祭壇の物言ふを聞けり『然り、主なる全能の神よ、なんぢの審判は眞なるかな、義なるかな』と。第四の者その鉢を太陽の上に傾けたれば、太陽は火をもて人を燒くことを許さる。かくて人々烈しき熱に燒かれて、此等の苦難を掌どる權威を有たちまふ神の名を涜し、かつ悔改めずして神に榮光を歸せざりき。第五の者その鉢を獸の座位の上に傾けたれば、獸の國暗くなり、その國人痛によりて己の舌を齧み、その痛と腫物とによりて天の神を涜し、かつ己が行爲を悔改めざりき。第六の者その鉢を大なる河ユウフラテの上に傾けたれば、河の水涸れたり。これ日の出づる方より來る王たちの途を備へん爲なり。我また龍の口より、獸の口より、僞預言者の口より、蛙のごとき三つの穢れし靈の出づるを見たり。これは徴をおこなふ惡鬼の靈にして、全能の神の大なる日の戰鬪のために全世界の王たちを集めんとて、その許に出でゆくなり。(視よ、われ盜人のごとく來らん、裸にて歩み羞所を見らるることなからん爲に、目を覺してその衣を守る者は幸福なり)かの三つの靈、王たちをヘブル語にてハルマゲドンと稱ふる處に集めたり。第七の者その鉢を空中に傾けたれば、聖所より御座より大なる聲いでて『事すでに成れり』と言ふ。かくて數多の電光と聲と雷霆とあり、また大なる地震おこれり、人の地の上に在りし以來かかる大なる地震なかりき。大なる都は三つに裂かれ、諸國の町々は倒れ、大なるバビロンは神の前におもひ出されて、劇しき御怒の葡萄酒を盛りたる酒杯を與へられたり。凡ての島は逃げさり、山は見えずなれり。また天より百斤ほどの大なる雹、人々の上に降りしかば、人々雹の苦難によりて神を涜せり。是その苦難甚だしく大なればなり。
キリスト教終末論の相違点
キリスト教終末論には相違点がある。
ハルマゲンドンの戦いとゴグ・マゴクの戦い
二つの終末戦争をハルマゲンドンの戦いと、ゴグ・マゴクの戦いについて、前千年王国説では、二つの異なる戦いとし、無千年王国説と後千年王国説 では同一の戦いとする[1]。
注意すべき点
岡山英雄は注意すべき点として「獣と地上の王たちとその軍勢」と「キリストとその軍勢」の戦いであること、戦いの武器は、「鋭い剣」、「神のことば」であること、この戦いによって、すべての悪が滅亡するのは目的の一つに過ぎず、キリストの花嫁である教会の結婚こそが重要であるとする[2]。
キリストの勝利
尾山令仁は、悪霊の支配下にある地上の支配者たちとの軍勢と、主の軍勢との戦いであるので、この世のいかなる戦争とも異なる戦いであり、メギドの丘で行われるわけではなく、悪とその勢力が滅ぼされるキリスト勝利の戦いであるとする[3]。
奥山実はハルとメギドという二つの言葉からできているこの語は「虐殺の丘」を意味し、竜であるサタンと獣である独裁者と偽預言者からの悪霊に集められた者が、主の軍勢と戦い、子羊の軍勢が勝利すると説明する[4]。
教会への迫害
ウィリアム・ヘンドリクセンは、反キリストのリーダーシップのもとに、汚れた者たちが教会に恐ろしい迫害を加える時がハルマゲドンであると教える。ヘンドリクセンによれば、反キリストは目的をとげられず、邪悪な者たちの軍勢に神の怒りが注がれ、悪魔が「火と硫黄の池に投げ込まれ」るという。[5]
その後
ハルマゲドンの後に起こることについては、教派によって解釈が異なる。ハルマゲドンは最後の審判と直接の関係はないが、キリスト教の教理では、最後の審判の後に、キリスト者にとって天国に行く喜びのときだが、不信者は地獄に落ちるとされる[6][7]。
比較宗教学
比較宗教学によれば、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉。ヘブライ語で「メギドの丘」を意味すると考えられている。メギドは北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった(著名なものに、トトメス3世のメギドの戦いなど)。このことから「メギドの丘」という言葉がこの意味で用いられたと考えられている。世界の終末的な善と悪の戦争や世界の破滅そのものを指す言葉である。
現代の文化との関わり
SF小説・SFアニメ・SF映画などサイエンス・フィクション作品、特に終末ものにもこの構図は使われつづけている。1998年に公開された映画『アルマゲドン』は善と悪の決戦を描いたものではないが、“巨大小惑星の地球への衝突、そしてそれによる地球上の全生物の滅亡”という、その終末的雰囲気からこの名をつけたのだろう。
日本では、1972年に連載の始まった永井豪の漫画「デビルマン」がハルマゲドンを扱っていたものの、当時はあまりこの言葉の意味を知る人は少なかったようだ(永井談)。しかし1983年に角川春樹制作による『アニメーション映画『幻魔大戦』』が公開された際、「ハルマゲドン接近」というキャッチコピーがテレビや雑誌で多用され、キリスト教信者でない日本の若者にもこの単語が普及する。やがて五島勉らによるノストラダムスの大予言ブームや、1995年の地下鉄サリン事件以降、オウム真理教がその教義においてハルマゲドンの到来を主張していたことがワイドショーでたびたび報じられ、幅広い年代にまでこの単語が広く知られるようになった。
カルトとの関係
歴史上、ハルマゲドンを含む終末思想は、しばしばカルトの信者獲得や教祖の自己実現に利用されやすく、アメリカでのブランチ・ダビディアンによる事件や、日本での地下鉄サリン事件などオウム真理教による一連の事件などを引き起こすことが少なからずあった。
脚注
参考文献
- 『新聖書注解』いのちのことば社
- 『新聖書辞典』いのちのことば社
- 『小羊の王国―黙示録は終末について何を語っているのか』岡山英雄 いのちのことば社
- 『ヨハネが受けたキリストの啓示』尾山令仁羊群社
- 『世の終わりが来る!『ヨハネの黙示録』の私訳と講解』奥山実 マルコーシュ・パブリケーション
- 『新カトリック事典』研究社
- 『現代カトリック事典』エンデルレ書店
関連項目
外部リンク
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