新日鐵住金堺製鐵所
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新日鐵住金堺製鐵所(しんにってつすみきんさかいせいてつじょ)は、大阪府堺市堺区築港八幡町にある新日鐵住金の工場である。
2014年4月1日に同社和歌山製鐵所と統合したため、現在は「新日鐵住金和歌山製鐵所・堺地区」となっている。
概要
堺製鐵所は1961年(昭和36年)、八幡製鐵の製鉄所として発足した。同年操業を開始したのが形鋼を圧延する大形工場で、現在残る唯一の工場でもある。1965年(昭和40年)には高炉が完成し、銑鋼一貫体制が確立した。1970年(昭和45年)の新日鉄発足に伴い、同社堺製鐵所となる。1980年代に入ると設備の縮小が相次ぎ、1984年(昭和59年)には2基あった高炉が1基のみとなり、翌1985年(昭和60年)には熱延鋼板の生産も終了した。1990年(平成2年)には高炉と製鋼部門が休止し、銑鋼一貫製鉄所から形鋼の圧延工場へと縮小した。
現在の堺製鐵所は、面積149万平方メートル、従業員数354人(2010年7月1日時点)[1]。大形形鋼の生産拠点であり、H形鋼や造船用山形鋼、鋼矢板などを生産している。製鉄所構内には新日鐵住金グループの大阪製鐵堺工場があり、同工場では電気炉によって製鋼作業が行われている。
事業の縮小で生じた高炉・原料ヤードの跡地は再開発され、2006年(平成18年)に商業施設「堺浜シーサイドステージ」が建設された。また、隣接する旧新日鉄の遊休地では、シャープ堺工場が2010年(平成22年)に操業を開始している。
沿革
- 1961年(昭和36年)10月1日 - 八幡製鐵堺製鐵所として発足。
- 1961年(昭和36年)11月26日 - 大形工場稼動開始。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 熱延工場稼動。
- 1965年(昭和40年)6月24日 - 第1高炉初火入れ。
- 1965年(昭和40年)6月29日 - 転炉新設。
- 1967年(昭和42年)7月31日 - 第2高炉初火入れ。
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 新日鉄発足、同社堺製鐵所となる。
- 1981年(昭和56年) - 連続鋳造設備を新設。
- 1981年(昭和56年)5月 - 東ドイツのホーネッカー国家評議会議長が訪問。
- 1983年(昭和58年)5月 - 第1高炉休止。
- 1985年(昭和60年)3月 - 熱延工場休止。
- 1990年(平成2年)3月 - 第2高炉・転炉・連続鋳造設備など製銑・製鋼設備が全休止。
- 1990年(平成2年)4月 - 堺製鐵所構内での電気炉操業を目的に、大阪製鐵と合同製鐵の共同出資で関西ビレットセンター設立。
- 1999年(平成11年)10月 - 大阪製鐵が関西ビレットセンターを合併。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 新日鐵住金発足。
- 2014年(平成26年)4月 - 和歌山製鐵所と統合し、和歌山製鐵所・堺地区となる[2]。
その他
- 三井物産が、開発中のライトレールの一種であるトランスロールの実験線(全長500メートル)の用地を借地していた(2009年に試験終了、用地は返還された)。
- イオンモール堺北花田:旧新日本製鐵花田社宅跡地に2004年10月28日にオープンした。
- 所在地は発足以前には築港北町と築港中町という町名だったが、発足の1961年に旧八幡製鐵にちなんで築港八幡町と改称された。
アクセス
関連項目
- 新日鐵住金和歌山製鐵所
- 新日本製鐵堺硬式野球部 - 旧堺製鐵所の硬式野球部。1994年廃部。野茂英雄らが所属していた。
- 堺ブレイザーズ - 旧堺製鐵所のバレー部が前身。
脚注
参考文献
外部リンク
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- ↑ 製鉄所組織の統合・再編成について - 新日鐵住金株式会社 プレスリリース 2013年10月30日