アレクサンドル・アレクサンドロフ
テンプレート:Infobox Musician アレクサンドル・ワシーリエヴィチ・アレクサンドロフ(テンプレート:Lang-ruロ-マ字表記 Alexander Vasilyevich Alexandrov 、1883年4月13日(ユリウス暦4月1日) - 1946年7月8日)はソビエト連邦の作曲家、陸軍軍人。モスクワ音楽院教授、陸軍少将。人民芸術家、ソビエト連邦国家賞受章。
ソ連国歌を作曲し、またアレクサンドロフ・アンサンブルを創設したことで知られる。
概要
1883年4月13日、アレクサンドロフはモスクワ近郊の集落で生まれた。
1928年、後述の労農赤軍に属するアンサンブルを創設し同団の指揮者を務める。1936年にはのちのソ連国歌を作曲、ヨシフ・スターリンの庇護を受けた。
1946年に巡業先のベルリンで死去。
息子ボリス・アレクサンドロヴィチ・アレクサンドロフも同じ道を歩み、父と同じ陸軍少将として、また父亡き後のアレクサンドロフ・アンサンブル指揮者を継ぎ1987年まで在籍した。
アレクサンドロフ・アンサンブル
赤軍時代の1928年、モスクワでアレクサンドロフは赤軍所属の合唱団・演奏団(アンサンブル)を創設する。これはアレクサンドロフの死後にその業績を称えて「Дважды краснознаменный академический ансамбль песни и пляски Российской армии имени А. В. Александрова(テンプレート:Lang-en テンプレート:Lang-ja)」、通称「Ансамбль Александрова(テンプレート:Interlang テンプレート:Lang-ja)」と名前を変え今日に至る。
なお、「赤軍合唱団 (テンプレート:En)」の呼称はあくまで旧赤軍・旧ソビエト連邦軍・現ロシア連邦軍・ロシア内務省国内軍といった、ロシアの軍隊・準軍事組織等に属する合唱団の総称・通称である。また、ロシア(旧:ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)以外の独立国家共同体加盟国(旧:ソ連邦構成共和国)の軍事組織等においてもロシア(ソ連)に範をとった合唱団が編成されており、それらを「赤軍合唱団」の範囲に含む場合もある。
アレクサンドロフ・アンサンブルは激動の戦前、大祖国戦争(独ソ戦)を通し、戦後のソ連軍、現在のロシア連邦軍時代と伝統を受け継ぎ存続し、同国において数多く存在するアンサンブルの中でも最古参として、また随一のステータスや力量を持つ「赤軍合唱団」の代名詞的存在である。
アンサンブルは少数のソリスト、大勢の合唱団、バラライカやバヤンといったロシア伝統民族楽器を取り入れたオーケストラ、ダンサー集団、指揮者や団長等といった幹部から構成される。ロシアでは定番な(俗に言う)ロシア民謡、革命歌・軍歌だけでなくオペラの楽曲なども得意としており、ソリスト・団員の多くは音楽学校などで教育を受けた声楽家出身者である。独唱・合唱だけでなく、サーベルを持つコサック騎兵や兵士・水兵に扮したダンサー達によるコサック・ダンスやタップ・ダンスといった演舞も取り入れている。
古くからロシア各地や旧東側諸国は勿論、冷戦時代にもアメリカや西ヨーロッパ諸国、日本(1976年来日。東京・大阪他全国各地にて公演)といった旧西側諸国も積極的に巡業し、冷戦終結後の現在も変わらず精力的に活動しており、その世界的名声や評価は高い。
毎年モスクワで行われる対独戦勝記念日の式典での演奏・歌唱や、先述の世界各地での公演の他、ミレイユ・マチュー(フランス出身。シャンソン歌手)のソ連公演でのバックコーラスや、1990年代前半のレニングラード・カウボーイズ(フィンランド出身。ロックバンド)との本格的なジョイントライブ、2004年にはバチカンにて時の教皇ヨハネ・パウロ2世臨席のもと御前公演を、2009年にはユーロヴィジョン2009(ロシアでは初開催)の幕間にメドレー[1]の披露及び、t.A.T.uのバックコーラスを行った経歴をもつ。
作曲した主な曲
- ソ連国歌 (セルゲイ・ミハルコフ作詞)
- 聖なる戦い (ヴァシリ・レベジェフ=クマチ作詞)
- 聖なるレーニンの旗 (O・コルイチョフ作詞)
- ソビエト陸軍の歌 (O・コルイチョフ作詞)