新伍&紳助のあぶない話
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テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『新伍&紳助のあぶない話』(しんごとしんすけのあぶないはなし、「&」の部分は「と」と読む)は、1990年10月7日から1996年6月30日までフジテレビ系列局で放送されていた関西テレビ製作のトーク番組である。放送開始当初は日曜 22時30分 - 23時00分に放送されていたが、1992年10月以降は日曜 22時00分 - 22時30分に放送されていた。
概要
金鳥 (KINCHO) こと大日本除虫菊の一社提供番組で、前番組『たけしのここだけの話』と同じく『KINCHOおもしろ倶楽部』枠で放送されていた。『たけしのここだけの話』はスタジオに観客を招き入れていなかったが、本番組で『スターご勝手対談』以来の公開収録が再開された。
本番組の司会は山城新伍と島田紳助で、毎回ゲストを迎えてトークを展開していた。ゲストは「どうしてもここでは暴露できない」話の際に行使できる「黙秘権」を3回まで与えられていた。番組後半にはゲストに関連した、本人にとって触れられたくないであろう物や人物を用意し、それにまつわるエピソードを聞く「BAKUDANタイム」があった。番組のラストでは、次回に登場するゲストが意気込みを語るシーンが加えられた。また、毎年最後の放送では、山城と紳助がゲストと化す企画を実施していた。この企画回では山口美江(『たけしのここだけの話』のサブ司会)が司会を務め、この年の放送に対する山城と紳助の行動を聞いていた。この回においては「黙秘権」は一切使えなかった。
テンプレート:要出典範囲、1996年6月30日放送分をもって終了。5年9か月間の放送に幕を閉じた。
主題歌
オープニングテーマ
- どうしてそうなの? (イントロ&コーダ部分のみ、原曲は『ふしぎの海のナディア』の挿入歌)
- 番組後期では別のテーマ曲が使われていた。
エンディングテーマ
- LADY BLUE (久松史奈)
- 毎日がバレンタイン(久野かおり)
- ペールイエローの2CV (FACE TWO FACE)
- きっとできない じっとしない(米倉利紀)
- 男と女でいたい夜(鹿賀丈史)
- 傷痕(森川美穂)
- Love Popsy Love (いしだ壱成)
- Rose Bud (中森明菜)
- キスの意味(くま井ゆう子)
- Fly for Me (Be-B)
- あふれる気持ち(小池映)
- NEWSな恋(Marvelars)
スタッフ
- ナレーター:柿沼紫乃
- 企画:藤原剛(KTV)
- 構成:松井尚、川崎良
- 技術:高木敏文
- カメラ:栄倉正美、木下和栄
- VE:金野勝
- VTR:鈴木隆
- 音声:高橋裕
- 照明:小林高幸
- 美術:鈴鹿博 → 広津憲久(テレフィット)
- 編集:本間貢
- MA:大江善保(ビームテレビセンター) → ヴィジュアルベイ
- 音響効果:有馬克己
- TK:伊藤篤美
- 広報:渡辺真沙子(KTV)
- AP:日向野明
- ディレクター:中嶋勉
- プロデューサー:大平雄司(KTV)、寺本俊司、小柴優、栗林堅太郎
- 技術協力:タワーテレビ
- 企画協力:沢井プロダクション、吉本興業
- 制作協力:NCV
- 制作著作:関西テレビ
放送一覧
その他
- 山口県では当初、TBS系列のテレビ山口 (TYS) で日曜夜に時差ネットされていたが、1992年春に打ち切り。3年後の1995年から日本テレビ系列の山口放送 (KRY) で木曜深夜に時差ネットされるようになった。こちらは最終回まで放送。
- 鹿児島県では、南日本放送 (MBC) が1990年10月(番組開始)から1991年9月まで木曜深夜に時差ネット。半年間の放送休止を挿んだ後、1992年4月から同年9月まで土曜午後に時差ネットしていたが、放送時間が30分繰り上げられた1992年10月4日からは鹿児島テレビ (KTS) での放送へと移行し、それとともに同時ネットになった(1985年4月7日以降、KTSの日曜 21:00 - 22:30はフジテレビ系の同時ネット枠であるため)。
- また、この放送時間30分繰り上げに伴い、1985年4月のネット改編からMBCに移動していたフジテレビ日曜 22:30 - 23:00の番組は、1992年10月4日からKTSへ7年半ぶりに復帰し、30分遅れの日曜 23:00 - 23:30にて時差ネットを開始した。
- その他のクロスネット局、テレビ大分 (TOS) ・テレビ宮崎 (UMK) は、いずれも深夜番組として時差ネット。
- 沖縄テレビ (OTV) は、日曜 22:30 - 23:00が自社制作番組放送枠のため、1990年10月(番組開始)から1992年9月までは深夜番組として時差ネットしていたが、放送時間30分繰り上げに伴い、1992年10月4日から同時ネットを開始した。
- 番組のエンディングで『進め!電波少年』(日本テレビ)のつなぎを頼まれ、これを承諾したことから、司会の2人が他局ながらも「この後は、進め!電波少年」と紹介したことがある。