戸田氏長

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戸田 氏長(とだ うじなが、貞享4年11月7日1687年12月11日) - 享保20年8月10日1735年9月26日))は、江戸時代中期の大名美濃大垣藩の第5代藩主。大垣藩戸田家6代。

第4代藩主・戸田氏定の次男。母は藤井松平信之の娘。正室は土井利益の娘。子に戸田氏辰(長男)、戸田氏英(次男)、戸田英教(三男)。娘(藤井松平信将正室)。官位は従四位下、伊勢守、伊賀守。

貞享4年(1687年)11月7日生まれ。享保8年(1723年)4月23日、父より家督を譲られた。藩主時代には文学を奨励している。しかし父が長寿だったこともあり、それ以外にあまり藩政で見るべきところはない。

この頃、戸田家では氏定の娘婿の信濃松本藩水野忠恒は祝言後、将軍徳川吉宗にその報告のため登城したが、その際に長府藩世子毛利師就に斬りかかり改易という処分が下されているという縁組による災禍があった。

父の後を追うように享保20年(1735年)8月10日に49歳で大垣にて死去し、跡を次男の氏英が継いだ。法号は乾誉徹元享沢院。墓所は岐阜県大垣市西外側町の円通寺。


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