戸田氏英
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戸田 氏英(とだ うじひで、享保14年12月11日(1730年1月29日) - 明和5年4月23日(1768年6月7日))は、美濃大垣藩の第6代藩主。大垣藩戸田家7代。
第5代藩主・戸田氏長の次男。母は氏長の側室・中村氏。正室は堀田正亮の娘。子に娘(大河内松平輝行正室)、娘(戸田氏教正室)、娘(板倉勝政正室)。官位は従五位下、采女正。
享保14年(1729年)12月11日生まれ。幼名は徳次郎。享保20年(1735年)、父が死去したためにわずか7歳で家督を継いだ。氏英は戸田氏の家臣団整理(延享の永御暇)などを行なっている。宝暦4年(1754年)には奏者番となっている。
明和5年(1768年)4月23日に大垣にて死去した。享年40。墓所は岐阜県大垣市西外側町の円通寺。跡を婿養子の氏教が継いだ。