少弐満貞

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少弐 満貞(しょうに みつさだ、生年不詳 - 1433年9月29日永享5年8月16日))は室町時代前期の武将。北九州の名門少弐氏当主。少弐貞頼の子。少弐資嗣少弐嘉頼少弐教頼は子。「満」の字は将軍足利義満から偏諱を賜ったもの。

略歴

1404年、父・貞頼の死により家督を継ぐ。家督相続後は九州探題渋川満頼と戦う。応永26年(1419年)には李氏朝鮮による対馬侵攻(応永の外寇)を迎撃したと幕府へ報告した(実際には対馬に渡っていない)。

1423年にも新探題である渋川義俊(満頼の子)と博多にて戦い、これを破った。しかし義俊の反撃を受けて1425年大内盛見と義俊の連合軍に大敗を喫して博多を放棄せざるを得なくなった。だが1431年大友氏と共に大内盛見を攻め、これを逆に討ち取った。しかし1433年、盛見の後を継いだ大内持世の反撃を受けて筑前秋月城で戦死した。

子孫

子の資嗣も肥前与賀庄の戦いで戦没したが、残された子の嘉頼・教頼は対馬宗氏を頼って落ち延びた。

関連項目

テンプレート:少弐氏当主