相良定頼

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相良 定頼(さがら さだより、生年不詳 - 文中元年/応安5年8月25日1372年9月22日)?)は南北朝時代武将相良氏の第6代当主。第5代当主・相良頼広の子。通称は相良八郎。もしくは相良兵庫允。

生涯

1339年、祖父の第4代当主である長氏から所領を譲られた。その後、父・頼広から家督を譲られて当主となり、南北朝の動乱期に乗じて日向国肥後国に勢力を拡大した。1352年には大隅守、1357年には遠江守に叙任されている。1372年8月25日に死去(没年には異説あり)し、後を子の前頼が継いだ。

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