相良長氏

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相良 長氏(さがら ながうじ、生年不詳 - 正平7年4月14日1352年5月27日))は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将相良氏の第4代当主。第3代当主・相良頼俊の次男。通称は相良六郎三郎。

生涯

弘安10年(1287年)、父・頼俊から家督を譲られて当主となる(頼俊の死去に伴うとする史料もある)。延慶4年(1311年)、剃髪して蓮道と称した。また同年、相良一族の心得や家法のようなものを記した長文の置文を記している。

嘉暦元年(1326年)、7代将軍・惟康親王の薨去に伴い、家督を子の頼広に譲って隠居した。建武元年(1334年)、祖父・長頼の時代に没収された人吉庄北方の所領を取り戻している。後にこの領地を孫の定頼に譲った。

没年は文和5年(1356年)とする説もある。廟所は佐牟田迎蓮寺、牒所は称明寺(現在は共に廃寺)。

テンプレート:肥後相良氏当主