DOS/V

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DOS/Vドスブイ)は、1990年日本アイ・ビー・エムが発表したパーソナルコンピュータ用のオペレーティングシステム通称である。PC/AT互換機上で稼働し、専用のハードウェアを必要とせずに、ソフトウェアだけで日本語表示を可能にした。1991年にはマイクロソフトの日本法人なども発表し、日本でPC/AT互換機が一般に普及する切っ掛けとなった。転じて、日本語ではPC/AT互換機のことを指して「DOS/V」と呼ぶこともある[1][2]

名称

「DOS/V」は当初は「VGA対応のDOS」の意味だったが、後に「可変(Variable)」などの意味も追加された。

名称の由来

後に「DOS/V」と呼ばれる最初の製品の正式名称は「IBM DOS J4.0/V」であり、並存したPS/55専用の「IBM DOS J4.0」(通称 JDOS)と比較すると「/V」が追加されていた。このため日本IBM社内では当初は「スラブイ」とも呼ばれた。「DOS/V」は当時のパソコン通信であるNIFTY日経mixなどのネットワーカーによる命名とされる。

「V」は「VGA」(最大画面解像度は640x480ピクセル)の意味であったため、DOS/V初期の日本IBMのインタビューや資料には「XGA(最大画面解像度が1024x768)対応のDOS/X、モバイル端末用のCGA対応のDOS/C」などの表現も見られた。また「V」は「Victory」との解釈、「DOS/V」を「DOSバージョン5」との誤解もあった。日本IBMが「DOS/Vは登録商標にしない、自由に使用して欲しい」と宣言した事もありテンプレート:要出典「DOS/V」の通称は広く普及した。後にDOS/V上で複数の画面解像度を実現するV-Textも登場し、日本IBMでDOS/Vを主導した堀田一芙は雑誌インタビューなどで「VはVariable(可変)などと解釈してください」とも説明した。

名称の転用

当時最も普及していた日本電気(NEC)のPC-9800シリーズに対し、DOS/Vが動作するPCであるPC/AT互換機が「DOS/Vマシン」「DOS/V機」と呼ばれたこともあり、本来の言葉の意味からすると誤用ではあるが、PC/AT互換機のハードウェアを指して(搭載されているOSがWindowsのみでも)「DOS/V」と呼ぶ用例がみられる[1][2]。PC/AT互換機の部品の販売店が「DOS/Vショップ」と呼ばれる、など(例:DOS/V POWER REPORTドスパラ(旧DOS/Vパラダイス))。Windowsが普及して以降は、「Windows(マシン)」が同じ意味で用いられている。

歴史

DOS/Vの登場前

世界的には1981年のIBM PC登場後、ほぼ数年でIBM PC互換機パーソナルコンピュータ市場のデファクトスタンダードとなった。

しかし日本では日本語表示の性能確保のためにIBM PCのシリーズは発売されず、各社から(日本IBMからも)独自の日本語表示用のハードウェアを搭載したパーソナルコンピュータが発売された。このため、同じインテルx86系のCPUMS-DOSを採用しながらもIBM PC互換機とも相互にも互換性が無い時代が続いた。NECのPC-9800シリーズがほぼ寡占状態で、他は富士通FMRシリーズ、日本IBMのマルチステーション5550シリーズおよびJX東芝のJ-3100シリーズおよびダイナブック三洋電機シャープ日立製作所三菱電機などのAX陣営[3]などに分かれ、相互にほとんど互換性は無かった(ダイナブック初期モデル(J-3100SS)はPC/XT互換(すぐにPC/AT互換に移行)、AXはPC/AT互換機ベースであり英語環境では互換性があったが、日本語表示は各々独自仕様のためやはり互換性はなかった)。

背景には日本ではハードウェアメーカーが強く独自の系列と販売網を築いていたこと、ユーザーも「メーカー保証」を求めたことがあるが、海外のハードウェアやソフトウェアのメーカーにとっては日本市場への参入障壁でもあり、国内向け機種がPC/AT互換でないNECや富士通を含む大半の国産メーカーにとっては(海外向けにはPC/AT互換機(NECのen:UltraLiteなど)を製造・輸出していたため)重複投資でもあり、ユーザーにとっては互換性の壁であり海外最新技術の導入時間差や内外価格差でもあった。

DOS/Vの登場

DOS/VはPC/AT互換機で稼働し日本語表示をソフトウェアのみで実現したため、日本にPC/AT互換機が普及する契機となった。日本語表示をソフトウェアのみで行う事自体はマルチステーション5550初期モデルなどに前例があるが、当時のハードウェアの性能向上によりソフトウェアによる日本語表示が実用的になったといえる。

1990年12月、最初のDOS/Vは日本IBMのPS/55シリーズの1機種(ラップトップ2代目である5535-S)の専用OS「IBM DOS J4.0/V」として登場した。PS/55はPS/2ベースなので広義ではPC/AT互換機であり、DOS/V登場時のマイナーバージョンは「IBM DOS J4.05/V」であった。しかし他のPS/55の画面解像度(主流は1024x768ピクセル、初代ラップトップは720x512)に対して5535-SはVGA(640x480)など、「低スペックで互換性の低い専用OS」と思われマスコミでも雑誌でもほとんど注目されなかった。

しかしパソコン通信などで「PC/AT互換機でも動いて日本語表示ができた」など実績報告が続出し話題となった。ただし当時はPC/AT互換機自体が日本国内にほとんど無く、システムディスクの5.25インチフロッピーディスクへの変換や日本語キーボードの問題に加え、メモリマネージャとして別途QEMM386等が必要、BIOSビデオカードの相性の問題も発生するなどマニア(人柱、廃人とも呼ばれた)の世界であった。しかし日本IBMは非公式にこれら情報を見ては他社のPC/AT互換機で動く改善を繰り返しては情報提供した(英語キーボードのサポート、当時有力な他社ビデオカードであるET4000で正常表示できる隠しオプション "$DISP.SYS /HS=LC" の追加など)。このためマイナーバージョン「IBM DOS J4.07/V」の頃には大半のPC/AT互換機で(正式保証は無いが)実用的に稼働するようになった。

日本IBMはPS/55note(後のThinkPad)などDOS/V対象機を拡大し国産各社にもDOS/Vの採用を働きかけたが、大半のメーカーは従来通りマイクロソフトからの提供を希望した。しかしマイクロソフトは当時既にOS/2Microsoft Windows NTなどをめぐりIBMとは競合関係にあり、マイクロソフト版DOS/Vを当初はAXベースで三洋電機と開発・テストした。これはソフトウェアのみで日本語表示を実現する事はIBM版と同じだが「AXとの互換性確保のためにIBM版とは互換性が無く、フック多用のため日本語表示性能が大幅に低い」という非公式情報が流れたため雑誌やパソコン通信では署名活動などの反対運動が起き、この開発は中止された。(後に、これとは別にAX VGA/Sがリリースされた。)

DOS/Vの普及

1991年 1月には日本語版Windows 3.0が発売され、3月にはDOS/Vを中心とした標準化・推進組織であるOADGが設立されて日本語キーボードの標準化も進み、6月にはマイクロソフト日本法人(MSKK)からマイクロソフト版DOS/Vである「MS-DOS 5.0/V」が出荷された。これはIBMから「DOS/Vモジュール」の提供を受けて若干の変更(ファイル名や日英モード切替コマンド名の変更など)を加えたもので、IBM版DOS/Vとの互換性の問題はほぼ発生せず、IBM版の「IBM DOS J5.0/V」と並んで店頭販売された。なお、マイクロソフトがMS-DOSを直接販売するのは世界的にも5.0からであり、また5.0はIBMとマイクロソフトのOS共同開発(OSクロスライセンス契約)が有効であった最後のバージョンでもある。

1991年から1993年にかけて、NECを除く国産各社はDOS/Vに移行した。東芝のダイナブック(当時のSS以降。J-3100シリーズ機も併売)、富士通のPCサーバーとFMV(FMR・TOWNSも併売)、日立製作所や三菱電機などのAX協議会各社、エプソンダイレクトプロサイドなどである。平行して台湾のマイタック、ASTリサーチコンパックデルゲートウェイなどの外資系各社もDOS/Vを搭載して日本市場に本格参入した。特にコンパックの低価格マシン投入は「コンパックショック」とも呼ばれ、FMVは標準搭載ソフトの多さと割安感でシェアを拡大した。またIBMはDOS/V専用シリーズのPS/V(後のAptiva)、セガメガドライブとの両互換機であるテラドライブを発売した。NECは、それからもPC-9800シリーズ(および派生機種)を継続し、とうとうDOS/V対応機を国内販売しなかった。国内向けをPC/AT互換機系列であるPC98-NXシリーズに移行したのは、のちのWindows 9xの時代であり、サーバーのExpress5800シリーズにPC/AT互換機系列の機種を投入したのもWindows NTの時代になってからである(前者の派生機種であるFC98-NXの一部機種でPC DOS 2000の動作を保障している例外を除き、両シリーズともDOS/Vでの動作を保障していない)。

秋葉原では、従来はPC/AT互換機の一般向けの輸入・組立販売店は小規模店舗が少数だったが、DOS/V搭載の「DOS/V機」を販売する「DOS/Vショップ」が増加した。DOS/VやAT互換機を中心記事としたDOS/VマガジンPC WAVEDOS/V POWER REPORTなどの雑誌も創刊されて、付録のCD-ROMではDOS/Vの修正モジュール、ドライバー、オンラインソフト、次期バージョンのβ版なども配布された。また1992年にIBMが発表したOS/2バージョン2には、日本語版のDOS互換環境にDOS/Vが含まれ、後にはV-Textにも対応した。

PC-98 対 DOS/V

国内市場の構図が次第に「PC-98 対 DOS/V」となる中、マスコミ、メーカー、ユーザーなどで以下が比較された。

  • 画面の広さ(PC-9800シリーズは画面解像度が640x400固定のためテキストモードは最大80桁25行だったが、DOS/V (VGA)は画面解像度が最大640x480のためテキストモードは同じ80桁25行ならば行間が空き、グラフィック画面では広く使えたほか、後のV-Textによる拡張では、より高解像度となる800x600や1024x768、1280x1024などを含むSVGAを使用したテキストモード(100桁33行など)や高品位な24ドットフォントなども可能となった)
  • 日本語表示速度(PC-9800シリーズは特にスクロールが高速、DOS/Vはビデオチップドライバー次第だが、WindowsなどのGUI環境が中心になれば違いは無くなる)
  • 周辺機器・ソフトウェアの数(国内ではPC-9800シリーズ用が圧倒的に豊富だが、DOS/Vは世界中のものが使用でき、日本語化も容易で、更にWindowsなどの環境になれば違いは非常に少なくなる)
  • 将来性(NECはマイクロソフト等との歴史と関係を強調するが、世界的な規格やOSはまずはPC/AT互換機用に開発される)

NECは1992年に、従来のPC-9800シリーズをベースとしながらもVGAと同じ画面解像度(640x480)を持つPC-9821シリーズを発売した。更にテキスト画面のスクロール速度をDOS/Vと比較したTVコマーシャルの放映、「ATバスベースなのでPC-98では対応困難」とも言われたPCMCIA(現在の16ビットPCカード)への対応、PCIへの移行、S3の最新SVGAビデオチップのPC/AT互換機よりも早い搭載、そしてWindows 95のサポートなど、DOS/V(PC/AT互換機)を意識した積極的な製品競争を展開したが、PC/AT互換機の最新技術を取り入れてWindows環境に移行するに従い「ユーザーから見れば、もはやWindowsパソコンの1機種であり、中身が独自である必要性が見えず、一番の違いはキーボードだけ」などの意見も増えていった。

やがて「残るNECがいつDOS/V(PC/AT互換機)に移行するか」が業界やユーザーの話題となったが、PC-9800シリーズの成長と維持に注力した関本忠弘社長の1994年の交代を経て、1997年にはNECが事実上のPC/AT互換機のPC98-NXシリーズを発売した(NECは「世界標準機」との表現を使用し、マイクロソフトのガイドラインであるPC97/98に準拠していたが、付属するWindowsのCD-ROMには「PC/AT互換機用」と明記されていた)。更に2003年には従来のPC-9800シリーズの受注生産を終了した。この結果、日本も世界と同様に「パーソナルコンピュータはMacintoshを除くとPC/AT互換機」となった。またDOS/VはDOSの日本語版として最後まで残った唯一の規格となった。

DOS/Vの成功要因と現在

DOS/Vが成功した背景には、当時のPC/AT互換機の内外価格差(80486-33MHz搭載で日本の半額以下など)、各社SVGAなど高速・高解像度なビデオカードの普及、Microsoft Windows 3.xの普及時期、日本IBMのオープン路線(他社PC/AT互換機への対応、OADG設立など)、IBM版と互換性の高いマイクロソフト版DOS/Vの出荷、NEC以外の国産各社の動向(独自でのPC-9800シリーズへの巻き返し困難、独自仕様マシンの今後のWindowsサポート不安[4]、内外二重投資の回避)などが重なった事が挙げられる。

一連の過程は「日本市場は日本語の壁で鎖国していたが、DOS/Vにより開国した」と表現される場合も多い。この比喩は更に「江戸時代は藩(大手メーカーによる囲い込み)や身分(企業向け、個人向けなど)で分けられ、自由な往来もできなかったが、近代国家となり統一されて海外とも国内も往来できるようになった」とも言われる。歴史的には、世界的には1981年からの数年間(16ビット、MS-DOSへの移行期)に発生したPC/AT互換機への移行が、日本では遅れて1990年からの数年間(32ビット、Windowsへの移行期)に発生したともいえる。

なお、1995年のMicrosoft Windows 95以降では単体のDOSを必要としなくなり、一部の携帯情報端末や制御機器を除きDOS/Vを含めたDOSは主流の座を降りた。DOS/Vを含めたDOS全体で、マイクロソフト版は1993年出荷の「MS-DOS 6.2/V」、IBM版は1998年出荷の「PC DOS 2000」が最終バージョンとなった。しかしMicrosoft Windows各バージョン日本語版のコマンドプロンプトで使用されている日本語表示規格は現在でもDOS/Vであり、DOS/V対応のソフトウェアがほぼ稼動する。またFreeDOSの日本語化の動きとして「FreeDOS/V」が存在する。

実際に使われる場面は少なくなったDOS/Vだが、現在も、雑誌名や自作PC系販売店等の固有名詞にDOS/Vを含む名前が残っている。

動作

DOS/V以前の日本語表示方式

DOS/V登場前の日本のパーソナルコンピュータは、日本語(2バイト文字、特に数の多い漢字)の画面表示のために漢字ROMなどの専用のハードウェアを使用していた。

多くの8ビット機(PC-8800シリーズFM-7/77シリーズ、MZ/X1シリーズ、MSXなど)では独立した漢字VRAMは用意せず、漢字ROMから直接グラフィックVRAMにドットマトリクスを表示する方式を取っていた。この方法は低コストだが描画速度が遅かった。

一方、PC-9800シリーズなどの多くの16ビット機や、一部のハイエンド8ビット機(X1 turboシリーズMZ-2500など)では、漢字表示に対応した専用のテキストVRAMである漢字テキストVRAMをグラフィックVRAMとは別に持ち、ハードウェア的に重ねて表示することができた。すなわち、漢字コードに対応した2バイトの数値をテキストVRAMに書き込むだけで、画面表示時にハードウェアが漢字ROMに書き込まれているドットマトリクス(ビットマップ)を自動的に展開してくれるため、i8086Z80等の非力なCPUでも非常に高速な漢字表示が行えた。この方式ではROMに内蔵されていないキャラクタは表示できないと言う欠点があったが、外字RAM領域を用意することで、数十文字程度であればキャラクタの追加も可能であった。当然ながら、漢字表示に対応したハードウェアやその実装に関するコストは必要である。

ダイナブックはIBM PC互換機ベースだが、漢字ROMを搭載し独自の日本語モード(画面解像度は640x400固定)を持った。AXPC/AT互換機ベースだが、日本専用のJEGAボードに漢字ROMを搭載し独自の日本語モード(画面解像度は640x400固定)を持った。PS/55PS/2ベースだが、日本専用の「PS/55ディスプレイアダプター」を搭載し独自の日本語モード(画面解像度は1024x768固定、XGAとは別規格)を持った。

なお例外的に、初期のマルチステーション5550ではDOS/V同様に日本語フォントをソフトウェア(ファイル)に持っており、DOS/Vの元祖と言える。ただし、フォントをメモリに展開せず日本語を表示するたびにフロッピーディスクまたはハードディスクにアクセスに行ったため、性能に非常に難があった。

DOS/Vの日本語表示方式

DOS/Vは、80286以上のCPUと2MB以上のメインメモリとビデオ表示規格のVGA以上を備えたPC/AT互換機ならば、専用のハードウェアを必要とせずにソフトウェアだけで日本語を表示できるように拡張されたDOSである。なお、オリジナルのPC/ATは80286搭載、メモリ256KB~512KB標準、ビデオ表示規格はEGAのため、メモリとVGAアダプターの増設は必要である。

DOS/Vは漢字ROMの代わりに日本語フォントファイルを持ち、80286のプロテクトメモリに展開してVGAのグラフィックモード画面(標準では画面解像度640x480ビット)に日本語をビットマップで展開して表示した。つまりDOS/Vの「日本語テキストモード」は実際にはVGAのグラフィックモードを使用しており、その後の拡張性・柔軟性となった。

またDOS/Vのもう1つの特徴は、DOSの日本語対応の基本部分をDOS本体(カーネル)の修正ではなくDOS標準の拡張方法であるデバイスドライバにより実現した事にある。つまりDOSの構成ファイル(config.sys)を編集して英語DOSに「DOS/V用のデバイスドライバ(と日本語フォントファイル)」を組み込めば「日本語DOS」となり、外せば戻り、英語DOSのバージョンにかかわらず高い互換性が確保できた。実際に、日本語モードを動的にオフ・オンするchevコマンド、リブートは必要だが完全な英語DOSとなるswitchコマンドも追加された。(DOS/V以前のダイナブックJXAXでは英語モードで起動するには専用の英語版DOSが必要だったが、DOS/Vでは英語DOSも内蔵されていた。)またユーザーは必要に応じてデバイスドライバの拡張や交換ができ、後のV-Textに発展した。デメリットはユーザーの使用できるコンベンショナルメモリがデバイスドライバにより圧迫される点であるが、バージョン5のメモリ管理機能向上により緩和された。

以下は、DOS/Vの登場時の考え方である。PS/55は80286プロテクトメモリと1.44MのFDD、VGAが標準で搭載されているPS/2を拡張したパーソナルコンピュータである。そして、当時、最低限表示出来なければならなかった漢字はJIS第一水準の3489文字とJIS第二水準3388文字で、これらを合わせても漢字フォントのサイズは(16dotフォントの場合)高々215KBである。この程度のサイズであればPC-DOS 4.0では積極的に利用されていないプロテクトメモリを漢字ROMの代替に用いることは容易である。さらに、ROMよりRAMの方がアクセス速度が高速であるため漢字ROMからグラフィックVRAMへ表示するよりも高速に行える。

DOS/Vでは補助記憶装置に置かれた漢字フォントを格納したフォントファイルを起動時にデバイスドライバによりプロテクトメモリ領域に展開し、漢字表示時にそれをグラフィックVRAM領域に転送する方式を取っている。また、デバイスドライバ組み込み時に適切なフォントとキャラクタ番号を指定することで、論理的には全ての文字記号を表示可能である。

しかし日本IBMも、従来の機種(PS/55の日本語ディスプレイアダプタ搭載機種)にDOS/Vをインストールした場合には標準の構成ファイル(config.sys)では既存の漢字ROMを参照する設定がデフォルトとなり、メインメモリーの常駐量を節約していた。ただしこのメモリ確保は当初はBIOSのINT 15h手順によるものであったため仮想86モードを使用するVCPIDPMIとの相性が極端に悪く、FONTXやDOS/Vスーパードライバーズ(後述)、IBM DOS J6.1/Vでは解消された。

拡張画面表示・V-Text

VGA以外の画面解像度や、標準以外の日本語フォント表示などに対応した拡張画面表示の仕様も策定・公開され、日本語表示用の互換ドライバが多数、開発・配布・販売された。

最初に、lepton(小山隆史)が1991年にFONTXをフリーソフトウェアとして公開した。これはDOS/V標準のフォントドライバ(IBM版では$font.sys、マイクロソフト版ではjfont.sys)の上位互換のフォントドライバであり、DOS/V標準以外のフォントを使用できた。

次に、h.murataがIBM版DOS/Vの標準のディスプレイドライバ($disp.sys)に適用するパッチを日経mixで公開した。これはSVGAの800x600(VESAで標準化された表示規格)で日本語を表示できた。これらはFONTXシリーズと共に、フォントを自由に変えられる上に拡張画面表示を実現するというDOS/Vの可能性を広げるものとなった。

更にleptonが公開したDISPS3はDOS/V標準のディスプレイドライバ(IBM版では$disp.sys、マイクロソフト版ではjdisp.sys)の上位互換のディスプレイドライバでS3チップ特化版であり、当時は高画質・高速を誇ったS3のビデオチップ(86C928以前)に特化して、アクセラレータを直接コントロールして高解像度かつ非常に高速な日本語表示ができた、また色々なフォントサイズ(6x12、7x14、8x14、8x16、8x19ドット)を表示でき、点滅カーソルなども使用できた。 続いて登場したDISPVは、DISPS3に対して汎用性を持たせた物で、VBE(VESA BIOS Extension)対応のSuperVGA上において640x480および800x600の解像度で表示する事が可能となった。 但しこれらのドライバは利用しようとする解像度ごとのドライバを必要とし、汎用性に欠ける面が有った。

そして西川和久率いるシー・エフ・コンピューティング(C.F.Computing)による、FONTX、DISPV、DISPS3などをベースに拡張したドライバーをまとめた「DOS/Vスーパードライバーズ」が、ソフトバンクより書籍(マニュアルと付属のフロッピーディスクの形)として出版された[5]

これらの拡張画面表示の仕組みは当初はHiText(ハイテキスト)とも呼ばれたが、特定の会社(オサム)が登録商標として登録した[6]ため以後のDOS/V版はV-Textと呼ばれるようになり、1993年にはIBM本社が公認した国際仕様となり、日本IBMからは「IBM DOS/V Extention」が発売された。これは日本のパソコン通信などのネットワークで生まれ育った規格をIBM本社が正式採用して製品化された出来事であった。 IBM DOS/V Extentionでは更なる変更が追加され、ディスプレイだけではなく、プリンタにも日本語印刷のための機能が装備され、当時は当然視されていた日本語フォント搭載のプリンタでなくとも、ドライバさえ有れば日本語でのテキスト印刷が可能になっていた。

V-Text用の主なドライバーには以下のフリーウェアや製品がある。

  • leptonによるFONTX、DISPV、DISPS3 [7]
  • DOS/Vスーパードライバーズ (C.F.Computing)[5] - 多数のビデオチップに対応し高速化
  • DOS/Vスーパードライバーズ32 (C.F.Computing)[8] - 対応チップ追加、横倒しモード(縦書き)などの機能追加
  • IBM DOS/V Extension (Ver.1/Ver.2) [9] (日本IBM)- 複数フォントサイズやXGA/XGA2、日本独自の「PS/55日本語表示アダプター」(画面解像度は1024x768だがXGAとは別規格で8514/Aと技術的な連続性がある)に対応
  • PC DOS 7、PC DOS 2000 (日本IBM) - IBM DOS/V Extension 2.0 が標準搭載された
  • OS/2のDOS/V互換環境 - 後にIBM DOS/V Extension 2.0相当の機能が標準搭載された

これらのドライバーを使用すれば、IBM版DOS/Vだけでなく、マイクロソフト版DOS/Vや、英語版の各社のDOS、更にはOS/2やWindowsのDOS互換環境などもV-Text化することができる。ただし個々の組み合わせ、サポート有無は要確認である。

V-Textをサポートした主なソフトウェアには以下がある(サポートするドライバーや画面モードは確認が必要である)。

漢字テキストVRAMとの表示速度比較

専用のハードウェアを搭載せずにコストを下げると言う方式は、前述のV-Text等の表示の柔軟性と言うメリットをもたらしたが、その表示速度は専用ハードウェアに敵う訳ではなく、登場初期のDOS/Vマシンは、日本語のテキストスクロールが遅く、漢字テキストVRAMを持つPC-9801のほうが表示が圧倒的に速かった(DOS/Vとの日本語のテキストスクロール速度の比較実演を行ったNECのテレビコマーシャルも放送された)。これは同じ処理速度の機械で漢字一文字表示するのに2バイト書き込むのと、重ね合わせ処理を行いつつ32バイトを書き込むのでは、前者が単純計算で16倍高速になるためである。

Windows3.xの各GDIに対応したハードウェアアクセラレート機能を持つグラフィックアクセラレータが登場した際、その機能の内、BitBltとハードウェアスクロール機能をDOSから生で叩き、重ね合わせとスクロールをハードウェアを用いて行う機能が追加され、スクロール速度においてのみ、PC-9801に勝った時期があった。しかし、あまりにも多彩な種類のグラフィックアクセラレータが発売され、メーカーの参入と撤退が激しくなるなどの要因により、個別対応が必要なこの方式は破綻した。

そのため、2004年現在の最新アーキテクチャのPC-AT互換機でも、FreeBSD等のコンソールでkonを使用した漢字表示より、Pentium搭載のPCIアーキテクチャのPC-9821のコンソール画面の漢字表示の方が数段高速である。

ただし、DOSのみ使用していてもDOSテキスト画面でのスクロール速度だけが性能上の決定打とはならない事、更にMicrosoft WindowsなどのGUI環境が主流になるとDOSテキスト画面でのスクロール速度は意味が無い事などが、DOS/VおよびPC/AT互換機の普及につながった。

製品

日本語版

  • 日本IBM
    • IBM DOS J4.0/V (マイナーバージョンは「IBM DOS J4.05/V」~「IBM DOS J4.07/V」が存在した)
    • IBM DOS J5.0/V (マイナーバージョンの「IBM DOS J5.02/V」が存在した)
    • PC DOS J6.1/V (J6.0は存在しない。DOS/V Extension 1.0の成果を一部取り込んだ。)
    • PC DOS J6.3/V (J6.2は存在しない)
    • PC DOS J7.0/V (アップグレードCD-ROM版ではDOS/V Extension 2.0を標準搭載した。)
    • PC DOS 2000 (製品名称に「/V」は付かないが、日本語版はDOS/Vが含まれている。IBMの最終バージョン。)
  • マイクロソフト
    • MS-DOS 5.0/V
    • MS-DOS 6.0/V
    • MS-DOS 6.2/V (6.1は存在しない。マイクロソフトの最終バージョン。)
  • デジタルリサーチ(Novell)
    • DR DOS 6.0/V (DR-DOSのDOS/V版。後継の Novell DOS 7 にはDOS/V版は存在しない。)

上記の他、当初はコンパック版や、AX規格のキーボードやJEGAボードに対するドライバが追加されたソニー版のDOS/Vもあった。またPS/55専用の「IBM DOS J5.0」(「/V」が付かない、通称JDOS)も、5.0以降ではDOS/Vモジュールを含み切り替えて使う事ができたが、インストールはPS/55専用の「日本語ディスプレイアダプタ」を必要とした。

DOS/V登場時には、本国のIBMとマイクロソフトは関係が悪化していたが、日本IBMはIBM版の日本語Windowsへの積極的な対応など本国とは違う独自の動きを行っており、DOS/Vを実現するドライバをマイクロソフトに供給し、マイクロソフト版のベースとなった。しかしIBM版に対してマイクロソフト版日英の言語切り替え機能(切り替えコマンドの構文)に関して互換性がなく、問題視もされた。PC DOS 2000は、いわゆる2000年問題の対応版だが、これがMS-DOSおよびPC DOS全体の最終版となり、2002年にはサポートも終了した。各バージョン間の相違はMS-DOSを参照。

他言語版

IBMの下で台湾、韓国、中国の各地域向けバージョンが作成されたが、詳細は不明である。それぞれのバージョン表記はDOS Tx.xx/V, Hx.xx/V, Cx.xx/Vとなっていたらしい。ある雑誌では台湾版を(写真にはDOS T5.02/Vと写っていたにもかかわらず)「DOS/T」と表記したことがあった。

参照

テンプレート:Reflist
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
  3. 日立(2020/B16/B32)・三菱(MULTI16)は初期は独自仕様・後にAXに移行
  4. 実際、PC-98以外の国産各社向けWindowsは、PC-98互換機であるセイコーエプソンのEPSON PCシリーズ向けを含めWindows 95で打ち止めになった
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite book
  6. オサムの商品はPC-9800シリーズで同様の環境を実現するもの。対応アプリケーションもある
  7. leptonのホームページ - DOS/Vの簡単な歴史(FONTX、DISPVなど)
  8. テンプレート:Cite book
  9. IBM DOS/V EXTENSION V1.0発表時のプレスリリース

関連項目

外部リンク