西村真琴
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西村 真琴(にしむら まこと、1883年(明治16年)3月26日 - 1956年(昭和31年)1月4日)は、日本の生物学者。元・北海道帝国大学教授。マリモの研究や、人間型ロボット「學天則」の制作などで知られる。次男は俳優西村晃。
年譜
- 1883年(明治16年)3月26日、長野県東筑摩郡里山辺村(現・松本市)で生まれる。
- 1908年(明治41年)、広島高等師範学校(現・広島大学)博物学科卒業。
- 小学校の代用教員を経て京都・乙訓町高等小学校長や満州の南満州遼陽小学校長などを務める。
- 1911年(明治44年)、南満医学堂生物学教授就任。
- 1915年(大正4年)、渡米しコロンビア大学植物学専攻科に入学。
- 1920年(大正9年)、コロンビア大学で博士号 (Ph.D.) を取得。
- 1921年(大正10年)、北海道帝国大学附属水産専門部教授に就任。
- 1927年(昭和2年)、阿寒湖のマリモの研究により東京帝国大学より理学博士号を取得。北海道帝国大学を退官し大阪毎日新聞に入社。
- 1928年(昭和3年)、東洋初の人間型ロボット「學天則(がくてんそく)」を制作、京都博覧会に出品した。
- 1936年(昭和11年)、大阪毎日新聞社会事業団内に全日本保育連盟結成。その後、民国窮民孤児援護会、隣邦児童愛護会などをつくり幼児教育に尽くした。
- 1945年(昭和20年)、大阪毎日新聞を退職[1]。
- 1947年(昭和22年)、豊中市市議会議員に当選、議長を務めるも1年で辞職[1]。
- 1956年(昭和31年)1月4日、死去。72歳没。
映画
絞殺 (映画) - 狩場保三 (西村晃)の父 (遺影出演 1979年 近代映画協会+日本アート・シアター・ギルド)
脚注・出典
関連項目
関連書籍
- 荒俣宏『大東亞科學綺譚』 筑摩書房 1991年 ISBN 978-4480860316 (ちくま文庫 1996年 ISBN 978-4480032065)
- 長山靖生『奇想科学の冒険 近代日本を騒がせた夢想家たち』 平凡社新書379 平凡社 2007年 ISBN 9784582853797