沖ノ島
テンプレート:Infobox 沖ノ島(おきのしま)は、福岡県宗像市の旧大島村域に属する、九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの孤島である。宗像大社の神領で、沖津宮が鎮座する。
概要
島全体が御神体とされ、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも毎年5月27日以外の上陸は基本的に許されず、その数も200人程度に制限されている。 山の中腹には宗像大社沖津宮があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ。宗像大社HP参照)をまつっている。無人島であるが、現在は沖津宮の神官が交代で派遣され、常時滞在している。
エジプト考古学者の吉村作治が提唱し、九州全土、特に宗像地方を中心に沖ノ島を世界遺産にする運動が行われており、2009年(平成21年)1月5日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成遺産の一つとして世界遺産暫定リストに追加掲載された。
島で一番高い一ノ岳の頂上には、海上保安庁の無人灯台がある。海面から灯火までの高さは253メートルである。
海の正倉院
出土した土器から縄文時代前期には漁民らが漁業の基地として使用していたらしい。その範囲は、北九州、瀬戸内海、山口県にまで広がっている。
17世紀前半、黒田藩が沖ノ島に防人をおいたことから発見されたが、島の有様については一切口外が許されなかった。しかし、日露戦争時には、陸軍の防衛基地が設置されてから島の様子が世間に知られるようになった。
第二次世界大戦後、宗像大社復興期成会が結成され、三次1954年(昭和29年)- 1971年(昭和46年)の発掘調査が行われ、23の古代祭祀跡から約8万点の祭祀遺物が出土(そのほか約2万点の縄文時代、弥生時代の遺物が出土)した。これらのうち第一次、第二次調査出土品は1962年(昭和37年)に国宝に指定、第三次調査出土品は1978年に重要文化財に指定された。2003年には上述の国宝と重要文化財を統合、同年と2008年には未指定物件が追加指定され、関連遺物全てが国宝に指定されている。こうしたことから、沖ノ島は海の正倉院と称される[1]。 島のまわりの海底からは人工的な階段や道らしい遺跡も見つかっている。http://mainichi.jp/select/news/20140801k0000m040028000c.html
日本海海戦
1905年(明治38年)5月27日、沖津宮の神官に仕えていた佐藤市五郎が、樹上から日露戦争の日本海海戦の始終を目撃している。彼は両艦隊の乗組員以外で同海戦を目撃した数少ない人物の一人であり[2]、その子細は創建以来書き継がれている沖津宮日誌に記されている。
島への上陸
一般人の上陸が許可されるのは、通常毎年5月27日に日本海海戦を記念して開かれる現地大祭の時に限られている。上陸できるのは事前に申し込みを行った中から抽選で選ばれた200人のみである(上記の通り女人禁制であるため男性のみ)。この上陸はすべて神事の一環として行われるため、前日に筑前大島の中津宮に参拝して事前の手続きを受け、船で現地に着いたあとは裸で海に入って禊をしなくてはならない。島全体が天然記念物でもあるため、島内の「一草一木」たりとも持ち帰ることは許されない。ただし、島内の湧き水(ご神水)のみは例外とされている。
玄界灘の中間に浮かぶ孤島であるため、荒天時などに付近を航行中の船が避難できるよう港湾設備が整備されている。そうした際に寄港して上陸する場合にも、社務所に許可を取って禊をすることが必要である。
自然
島を上空から見ると北東から南西に向かって紡錘形をなし、北部に主峰一ノ岳(標高243.6m)がある。地質は主に石英斑岩からなる。
沖ノ島は、亜熱帯性植物の北限でビロウやオオタニワタリ等の亜熱帯性植物が生育し、森林域はタブノキやヤブニッケイ等を中心とした原生林であるため1926年(大正15年)10月20日に「沖の島原始林」として国の天然記念物に指定されている。また、ヒメクロウミツバメ、カンムリウミスズメ及びオオミズナギドリなどの海鳥の集団繁殖地となっており、1978年(昭和59年)3月31日に国指定沖ノ島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積97ha、うち特別保護地区94ha)[3]。
沖ノ島灯台
テンプレート:灯台 沖ノ島灯台(おきのしまとうだい)は、島の主峰一ノ岳の頂上に建つ白塔形の灯台である。灯火標高は253mで、日本では6番目の高さである[4]。