島田泉 (考古学者)
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島田 泉(しまだ いずみ、1948年 - )は日本の考古学者。人類学博士。南イリノイ大学人類学科教授。シカン文明の名付け親として知られる。
経歴
- 1948年(昭和23年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 修二郎が任期を延長するも、家族は一旦日本へ引き揚げる。
- 母幾美子が病に倒れる。修二郎は大学を辞めて帰国。幾美子死去。
- 1964年(昭和39年)
- 再度米国より招聘があり、泉は父と共に渡米する。兄は日本に留まる。
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)
- カナダ王立オンタリオ博物館のペルー北海岸予備調査に自費参加。これが泉の初めてのペルー調査となった。
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年 (昭和51年)
- パンパ・グランデ発掘調査に関する博士論文により博士号を得る。同時にアリゾナ大学の客員助教授となる。
- 1977年(昭和52年)
- オレゴン大学に客員助教授として赴任する。
- 1978年(昭和53年)
- プリンストン大学に助教授として赴任。バタン・グランデの予備調査開始。
- 1979年(昭和54年)
- 本格調査開始。
- 1983年(昭和58年)
- 1989年(平成元年)
- 1991年(平成3年)
- ロロ神殿北西角の発掘で黄金の冠を発見する。以降、同地点で数々の人骨、副葬品が出土。
- TBS「報道特集」にて「黄金都市シカン」が放映される。以降、調査の経過報告などで数回放映された。
- 1992年(平成3年)
- ロロ神殿など一連の発掘作業を終了。
- 1994年(平成6年)
- 南イリノイ大学人類学科教授となる。
- 父修二郎が逝去。
- TBSのクイズ番組日立 世界・ふしぎ発見!で紹介される。
関連項目
著書
- 「黄金の都シカンを掘る」朝日新聞社 ISBN 4022568038
- 「古代アンデス美術」岩波書店 ISBN 4000080539