鬱陵郡
テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox 鬱陵郡(ウルルングン,うつりょうぐん)は大韓民国慶尚北道の郡。陸地(本土)から約150キロ東方の日本海に浮かぶ鬱陵島と付属島嶼からなる。日本と国境紛争のある竹島を郡域に含む。面積72.518平方キロ、人口9,252人。鬱陵邑、北面、西面の1邑2面で構成される。
歴史
- 512年 - 新羅による于山国征伐(鬱陵島が初めて文献に登場)。
- 930年 - 芋陵島住民、高麗に朝貢。
- 1018年 - 女真族の度重なる侵入により荒廃。
- 1379年 - 倭寇が武陵島住民を本土に追う。
- 1417年 - 李氏朝鮮住民を島に帰還させる。
- 1614年 - 対馬藩主へ鬱陵島に倭人の往来を禁止すると通告。
- 1693年 - 鬱陵島で朝鮮人と日本漁夫の衝突、朝鮮と日本の外交紛争発生(安竜福1次渡日)。
- 1696年 - 安竜福2次渡日。日本伯耆州太守と談判し、鬱陵島が朝鮮領土であることを認定(日本人の出漁、伐採禁止)。
- 1882年 - 鬱陵島開拓令頒布、島長を任命。
- 1883年 - 鬱陵島へ移住開始(54人)。
- 1895年 - 専任島長を任命。
- 1900年 - 鬱陵島を鬱島郡に改称し、江原道に編入(2面)。
- 南面・北面が成立。
- 1906年 - 江原道から慶尚南道に移管(3面)。
- 南面・北面のそれぞれ一部が合併し、西面が発足。
- 1914年 - 慶尚南道から慶尚北道に移管(3面)。
- 1915年 - 郡制を廃止し済州島とともに島に変更、鬱島郡庁を鬱陵島庁、郡守を島司に改称(3面)。
- 1949年 - 韓国政府樹立後、鬱陵郡として返還(3面)。
- 1979年 - 南面が鬱陵邑に昇格(1邑2面)。
- 2000年 - 鬱陵邑に独島里を新設(1邑2面)。
地理
中央に鬱陵峰が聳えている。北部は羅里盆地となっていて周辺には海水浴場が多くある。朝鮮半島の古文献でも知られる「三峯」(鬱陵島最高峰である聖人峯(標高984m)を中心とした西・南・東の三面に連なる山脈)が在り、赤青白で彩られた鬱陵郡旗に象徴的に描かれている。
気候
日本海に位置しているため、冬の降水量が多く、韓国で最も雪降雪量が多い地域である。沿岸部では40㎝程、内陸部では1m近い積雪を記録することがあり、1962年1月31日に内陸部にある気象台で観測された積雪293.6cmは韓国で最も多い記録である。
- 最高気温極値34.6℃(1994年8月4日)
- 最低気温極値-13.6℃(1981年2月26日)
- 過去最深積雪293.6cm(1962年1月31日)
行政
行政区画
下位行政区画は1邑2面。
- 鬱陵邑(10ヵ里)
- 道洞1~3里
- 苧洞1~3里
- 沙洞1~3里
- 独島里
- 北面(8ヵ里)
- 錐山里
- 羅里
- 玄圃1・2里
- 天府1~4里
- 西面(7ヵ里)
- 南陽1~3里
- 南西1・2里
- 台霞1・2里
警察
消防
- 浦項南部消防署
- 鬱陵119安全センター
経済
近海でサンマ、スケソウダラ(明太)、イカなどが取れ、主に漁業で生計を立てる。土地は痩せており、麦やトウモロコシ程度しか採れない。浦項港などとの間に旅客船の便があり、本土からの観光客は年に20万人程度である。陸地(韓国本土)との交通が不便で、スーパーマーケットや商店がなく、漁業協同組合が販売チェーン店を運営する。
独島博物館
1995年、光復50周年を迎えて独島博物館設置が決まり、鬱陵邑が土地を提供し三星(サムスン)文化財団が建設した施設にイ・チョンハク初代館長が30年余りの間国内外で収集した資料を中心に独島義勇守備隊同志会の資料などを加えて、1997年8月8日韓国内唯一の領土博物館として開館した。敷地面積2,441坪、施設延べ床面積484坪で、地下1階地上2階建て。1998年8月8日開館1周年を記念して独島博物館標石や野外独島博物院が造成された。