岡部長盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年10月27日 (日) 01:39時点における27.140.9.100 (トーク)による版
テンプレート:基礎情報 武士 岡部 長盛(おかべ ながもり)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。下総山崎藩主、丹波亀山藩主、丹波福知山藩主、美濃大垣藩初代藩主。岸和田藩岡部家初代。武勇に優れ、「岡部の黒鬼」と称された。
生涯
岡部正綱の長男。天正11年(1583年)、父の死により家督を継いだ。なお、長盛以前に「康綱(あるいは忠綱)」と称される人物が岡部氏の当主だったとも言われており、これが長盛の事なのかそれとも長盛の兄にあたる人物なのかについては意見が分かれている。
翌天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い、天正13年(1585年)の鳥居元忠を大将とする信濃上田城攻めでの真田昌幸との対戦などに参戦した。天正18年(1590年)、徳川家康が関東に移封されたとき、それまでの戦功を賞されて下総山崎1万2000石を与えられた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、下野黒羽城の守備につき、上杉景勝の南下に備えた。
慶長14年(1609年)、丹波亀山3万2000石に加増移封された(後に2000石加増を受けて合計4万石)。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で功績を挙げ、元和7年(1621年)に同国福知山5万石に加増移封された。寛永元年(1624年)、美濃大垣5万石へ移封される。