鳥取砂丘
テンプレート:Mapplot 鳥取砂丘(とっとりさきゅう)は、鳥取県鳥取市の日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。日本三大砂丘の1つである[1]。山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており、南北2.4km、東西16kmに広がる日本最大の観光可能な砂丘である。(一般に立ち入れない物も含めると、日本最大の砂丘は青森県の猿ヶ森砂丘)。
1955年(昭和30年)に国の天然記念物に指定された。2007年(平成19年)には日本の地質百選に選定された。
目次
砂丘の状況
中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、海岸に集まったものが砂丘の主な砂となっている。海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と、海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む卓越風の働きで形成された。
砂丘は千代川の東西に広がっているが、通常「鳥取砂丘」というと、千代川の東側の545haの「浜坂砂丘」を指す。砂丘によって海から切り離されて出来た湖である多鯰ヶ池がすぐ南東にある。
最大高低差は90mにもなり、すり鉢に似た形に大きく窪んだ「すりばち」と呼ばれる地形も有名で、特に大きなすりばち(「大すりばち」などと呼ばれる)は40mの高さにもなる。すりばちの斜面にあり、流れるように砂が崩れ落ちた形が簾を連想させる「砂簾(されん)」といった模様や、風速5 - 6m程度の風によって形作られる「風紋(ふうもん)」と呼ばれる筋状の模様も有名である。
鳥取砂丘には、3本の砂丘列が日本海とほぼ平行に走っている。鳥取砂丘が天然記念物に指定される前までは、陸側の砂丘列から数えて、第一、第二、第三砂丘列と呼称していた。現在では逆に海側から、第一、第二、第三としている。これには、砂移動の減少が原因で陸側の砂丘列が消滅してしまった場合でも呼称に都合が良いよう、という理由がある。
砂丘近隣に有島武郎、枝野登代秋、高浜虚子、森川暁水、与謝野晶子などの歌碑が点在する。また、演歌歌手・水森かおりの「鳥取砂丘」の大ヒットにより、注目を集め、ご当地ソングのはしりともなっている。
砂丘の利用と周辺住民とのかかわり
鳥取砂丘近辺の民家は砂丘から飛んでくる砂の害に悩まされたため、防風林の植林が行われたが、これが観光資源かつ貴重な自然である砂丘の規模縮小や生態系の変化の原因となったため、防風林の面積を減らしながら地元住民との共生を図っている[2]。
鳥取砂丘の周辺には「鳥取砂丘こどもの国」などの施設がある。観光地としての鳥取砂丘の入り口とされている場所には、レストハウスやみやげ店が並んでいるほか、入り口近辺では観光の一環としてラクダや馬が飼育されている。
近隣の小・中・高等学校の遠足の場としてもよく使われている、地元に密着した観光地である。広くハンググライダー、パラグライダーなどスカイスポーツの場としても利用されている。また最近では砂丘の傾斜を利用し、全日本サンドボード選手権大会が行われている。夏の夜には海岸にイカ釣り船の漁火(いさりび)が見え、これも風物詩となっている。鳥取砂丘近隣の砂丘畑で栽培される白ねぎ、らっきょう、長いもは特産品である。また、テレビドラマやテレビCMなどでサハラ砂漠などを想定したシーンの撮影で費用節約のために鳥取砂丘が使われる事も多々ある。
- Tottori sakyuu samon.jpg
砂紋
- Southern view from the top of Tottori Sand Dunes.jpg
頂上より南を望む
- Tottori sand dune01 1920.jpg
観光用のラクダ
- Tottori sand dune03 1920.jpg
観光用の馬車
砂丘に関する研究
植物・動物も砂丘独特のものが自生しており研究の対象ともなっている。指定された16種類もの砂丘植物としてハマゴウやネコノシタ、ハマベノギク、ハマヒルガオなどが、砂丘に生息する動物としてハサミムシやアリジゴクなどが挙げられる。 ただし、現在では繁殖した雑草によってこれら砂丘植物の生息域が狭められており、景観保護や生態系の維持を目的として除草作業が行われている。
鳥取砂丘は砂漠の緑地化研究の場として鳥取大学農学部などが利用しており(ただし、鳥取大学所管の共同利用施設である)、その成果は中国の砂漠の緑地化作業にも生かされている。
落書き事件
砂丘に落書きがされる事件が相次いでいる。自然公園法では許可なく広告物を掲示することを禁止しているが、砂丘の落書きが広告物に当たるかどうかの判断は難しかった。また、卑猥なものを俗に表す図形を砂で大きく落書きするなど、明らかに多くの人を不快にさせるような類の落書きも後を絶たなかった。そのため、2009年(平成21年)4月1日からは同日施行された「日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例」によって、5万円以下の過料に処せられる可能性がある[3]が、条例施行後も落書きは止んでいないとされる[4]。
- 2007年(平成19年)8月 - 北海道テレビ放送制作番組「水曜どうでしょう」のスタッフが2000年(平成12年)5月24日に放映された同番組内で砂丘に番組名を大書した件で、環境省から厳重注意を受けた。当初は砂丘の砂の無断採集に関して視聴者から指摘され、お詫び文章を公式サイトに掲載したが、後にこの落書きの件が追加された。
- 2007年(平成19年)9月8日 - 名古屋大学のアウトドアサークルによって縦約15メートル、横約50メートルにわたる落書き事件が発生し、批判が殺到、読売新聞にて取り上げられた。その後環境省に始末書を提出した。
- 2008年(平成20年)2月 - 通称「馬の背」に人の顔と名前らしき文字が落書きされていたことが分かった。
人骨の発見
2011年(平成23年)6月23日、砂丘の西側で植物の観察に訪れていた市内の住民が人の腕のようなものを見つけ、同年6月30日、砂丘を管理する鳥取県砂丘事務所を通じて警察に通報した。
警察が現場付近を捜索したところ、深さ30センチから40センチの砂の中から4体の人骨が頭を西に向け縦1列に並べられた状態で発見された。発見現場は観光客が訪れる場所より西側におよそ1.5キロ離れており、ふだんは人があまり訪れない所である。
発見された人骨は鳥取大学医学部で鑑定され、同年8月2日、鳥取県警は江戸時代後期から明治時代初期に埋葬された30代から40代の男女3体、20代 - 50代の男性1体と見られる計4体の人骨であると鑑定結果を発表した。死亡原因は不明。事件性はなく、埋葬された理由も不明。海難事故で埋葬された遺体と推定されることが鳥取県警により公表された[5]。
砂丘に埋葬された理由について、地元では明治時代初期と大正時代にコレラの流行を記録した文献が残っており、死亡したコレラ患者を伝染病予防のため砂丘に埋葬したと推定することもできる。また頭を西に向けた理由については、西の方角に仏教の浄土があるという思想が関係しているのではないかと推測される。
祭事・催事
- 鳥取砂丘イリュージョン - 12月中旬から下旬にかけて開催される光の祭典。砂丘のライトアップ、イルミネーションツリーなど。
- 砂の美術館 - 砂像を屋内展示する世界で初めての美術館。期間限定で開催される。
- 鳥取大砂丘全日本サンドボード選手権大会 - 鳥取砂丘で行われるサンドボードの全日本大会、体験試乗会。
歌碑
北島三郎の港春秋という歌の歌碑がある。
交通アクセス
JR鳥取駅から
- 日本交通・日の丸バス、鳥取砂丘(砂丘会館)行きに乗り、終点で下車。所要時間22分で、運賃は360円。30~70分間隔で運行。
- 日本交通(岩美・岩井線)、長谷橋行きまたは蕪島行きに乗り、砂丘東口下車。所要20分。1時間に1便以上あるが、土休日と盆正月は減便される。
- 湯めぐりエクスプレス、湯村温泉行きに乗り、砂丘センター下車。所要24分 (殆どの便は鳥取空港を経由するため45分を要する)。1日数便のみ (砂丘を経由しない便もある)。
- 浦富海岸・鳥取砂丘観光周遊ボンネットバス、岩井温泉行きに乗り、鳥取砂丘下車。所要24分 (春季~秋季の土日祝に運行、1日1往復のみ)。
- 土曜・休日はループ麒麟獅子バスも利用できる。こちらは運賃は300円。40~50分間隔で運行。
周辺情報
脚注
- ↑ その他の2つについては、諸説ある。
- ↑ もともとの砂丘の規模は防風林の植林以前よりは小さく、周辺には樹木が多く生えていた。その後タタラ製鉄の燃料のためこれらを伐採した結果、砂丘が人為的に広がったという経緯がある。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 鳥取砂丘:保全条例施行5年 落書き1217件 砂の持ち帰り、違法行為も 毎日新聞 2014年6月4日
- ↑ テンプレート:Cite web
関連項目
外部リンク
- 鳥取砂丘.ネット
- 国指定文化財 データベース - 文化庁
- 鳥取砂丘イリュージョン公式サイト
- 鳥取砂丘の観光と遊び方ガイド
- 鳥取砂丘でサンドボード! - 鳥取大砂丘サンドボード実行委員会
- 鳥取砂丘パラグライダー体験スクール