権現堂堤
権現堂堤(ごんげんどうつつみ)は、埼玉県幸手市内国府間にある、埼玉県内はもとより関東地方でも有数の桜の名所である。そのことから、権現堂桜堤とも呼ばれる。
目次
概要
中川の堤防上約1kmにわたって、約1000本の桜並木が続く。桜はソメイヨシノで、4月上旬が見ごろであるが、近年は開花時期が早まっている。桜の開花と同時期に堤下に広がるアブラナも咲くため、ピンクと黄色のコントラストが美しい。堤下には他にも全国から集められた様々な種類の桜が植樹されている。桜祭りの期間中は、中川に架かる外野橋は夜間ライトアップされ、夜桜見物の人の目を惹く。また、100種約15,000株のアジサイや、約100万本の曼珠沙華(ヒガンバナ)が堤に植えられている。
社団法人日本観光協会が主催する平成19年度の「花の観光地づくり大賞」において「フラワーツーリズム賞」を受賞した[1]。
歴史
テンプレート:External media 江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として築かれたものと言われ[2]、かつては6kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていた。また、1876年(明治9年)に明治天皇が東北巡幸の際に立寄ったことから、行幸(みゆき)堤とも呼ばれるようになった。なお、現在の日光街道(現国道4号)の栗橋交差点(国道125号との交差点)付近から中川に架かる行幸橋にかけての築堤は、かつての行幸堤の名残で一部の地図にはその旨が書かれている事がある。
1920年(大正9年)に桜を植え替える運動は既に始まっていたが、利根川や江戸川の流路変更に伴い、権現堂川は明治時代の終わりに締め切られ、1933年(昭和8年)に廃川となる。そのため、堤防は荒れ果て、堤防の桜は終戦前後の混乱や燃料にするために、その多くが伐採されてしまった[3]。
1949年(昭和24年)、旧権現堂川堤防のうち中川の堤防として残った部分へ改めてソメイヨシノを植樹したものが現在の権現堂堤である。なお、1988年(昭和63年)には周辺の休耕田にアブラナが、1996年(平成8年)には堤の一部にアジサイが植えられた。 また2000年(平成12年)には、堤の東半分にヒガンバナ(曼珠沙華)が、2003年(平成15年)には堤の一部にスイセンが植えられた。
2008年(平成20年)、権現堂調節池(行幸湖)[4]と合わせ、埼玉県営権現堂公園として整備された。
イベント
幸手さくらまつり
- 花見客で賑わっており、夜桜を楽しむ花見客も多いようである。
幸手あじさいまつり
曼珠沙華祭り
水仙まつり
ロケが行われた映画・アニメ等
- オープニングおよび第10話や第15話など
- プロモーションビデオでSEAMO本人がベンチに座り歌う場面
アクセス
東武日光線幸手駅より朝日バス「五霞町役場」行「権現堂」にて下車、徒歩1分。
開花シーズンには臨時直行バスが運行される。
風景
- 外野橋.JPG
中川に架かる外野橋
脚注
関連項目
外部リンク
- 権現堂桜堤 - 幸手市
- 権現堂堤(ごんげんどうつつみ) - 幸手市観光協会
- 資料展示 埼玉県・さいたま市共同企画資料展-自慢したい風景ベスト10- - 埼玉県立図書館
- 「権現堂の桜堤(幸手市)」 - サイタマどうが(埼玉県公式アカウント)