永興島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
座標: [[[:テンプレート:座標URL]]16_50_0.4_N_112_20_39.6_E_{{{9}}} 北緯16度50分0.4秒 東経112度20分39.6秒] テンプレート:Infobox
永興島(中国語)またはウッディー島(テンプレート:Lang-en、テンプレート:Lang-vi)は、西沙諸島(パラセル諸島)の島の一つで西沙諸島を含む南海諸島最大の島である。宣徳環礁の一部で七連嶼と共に環礁を形成している。ベトナムと台湾も領有権を主張しているが、1974年以降、この島を含む西沙諸島全体を中国が実効支配している。中国は領有権紛争のある南海諸島全体を海南省 三沙市としており、この島を南海諸島の中心となる島とするべくあらゆる施設を建設し既成事実化を進めている。島は航空海事軍事基地となっており、直径1.6km程度の島に2.4kmもの滑走路が建設されている。
概要
- 面積 - 2.1平方キロメートル
- 人口 - 1000人以上としている。主に中国人民解放軍、中国人民武装警察部隊、三沙市政府などの人員などが居住。民間住民には米や油、真水が不定期に支給され、軍用地以外の土地は自由に使用でき、各自家を建てることができる。また定住する漁民には衛星放送アンテナやチューナーがプレゼントされ、電気代は完全無料である。
- 平均海抜 - 5メートル
- 気候 - 熱帯(平均気温26.5℃)
- 地勢 - 珊瑚礁に囲まれた平坦な島で、島をはみ出した空港がある。また、同島の北、数キロ先には複数の島があり、7つの島が連なっていることから地元住民は「七連嶼」と呼んでいる。
- 付属島 - 北東に石島があり道路で接続されている。
- 三沙市議事堂 - 三沙市は南海諸島全体を管轄していることになっているが、実質は中国が主に実効支配している西沙諸島を管轄している。三沙市の住人のほとんどがこの島に住んでおり、三沙市議事堂は軍・政府関係者など1000人程度のための議事堂である。
- 医療施設 - 部隊の病院である「人民医院」がある。
- 金融機関 - 工商銀行
- メインストリート - 北京路
- スーパーマーケット - 西沙超市
- 教育施設 - なし
歴史
- 元朝 - 郭守敬がここで天文観測行う。
- 明朝 - 鄭和が島の位置を標注
- 1932年 - インドシナが占拠
- 第二次世界大戦 - 日本に一度占拠され,戦後カイロ宣言によって中華民国に返還
- 1950年 - 駐在する国民党軍が中共軍に降伏。中共の武装漁民が島を占拠。
- 1974年 - ベトナム共和国(南ベトナム)と中華人民共和国の紛争の末、中華人民共和国が西沙諸島占拠
- 1988年 - 中華人民共和国が島に空港と港を建設する。
- 2012年 - 中華人民共和国国務院が三沙市の設置を承認し、市政府所在地は永興島と発表された[1]。
観光
中華人民共和国、海南島三亜市の文晶から琼沙3号というフェリーでこの島を訪れる観光ツアーがある。船は概ね10日に1回出航するが、波が荒くなる冬場は3週間も出航しない場合がある。
参考文献
- ↑ 中華人民共和国民政部「民政部关于国务院批准设立地级三沙市的公告」(2012年6月21日)
外部リンク
- 永興島 Google Map