腰越町

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腰越町(こしごえまち)は、神奈川県の中央南部、鎌倉郡に属していた

地理

  • 河川:神戸(ごうど)川、行合(ゆきあい)川
  • 岬:小動岬

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、腰越村および津村が合併し腰越津村が成立する。
  • 1903年(明治36年)6月20日 - 江之島電氣鐵道(現在の江ノ島電鉄線)片瀬 - 行合橋(現在の七里ヶ浜駅)間開業。追加停留所は土橋、神戸橋(ごうどばし)、谷戸(現在の腰越駅)、満福寺前、腰越、袂ヶ浦、日坂(にっさか。現在の鎌倉高校前駅)、谷沢、七里ヶ浜、峰ヶ原、田辺(現在の七里ヶ浜駅)および行合橋(ゆきあいばし)。
  • 1903年(明治36年)7月17日 - 江之島電氣鐵道の行合橋 - 追揚(現在廃止)間開業。追加停留所は追揚(おいあげ)。
  • 1915年大正4年)10月18日 - 横浜電気江之島電気鉄道部(現在の江ノ島電鉄線)谷沢停留所廃止。田辺を行合に、行合橋を大境に改称。
  • 1918年(大正7年)6月24日 - 横浜電気江之島電気鉄道部の神戸橋停留所廃止。腰越を腰越浜上に、袂ヶ浦を恵風園前に改称。
  • 1920年(大正9年)4月1日 - 片瀬鎌倉線(現在の国道134号)および片瀬大船線(現在の神奈川県道304号腰越大船線)が県道認定される。
  • 1929年昭和4年) - 江ノ島電気鉄道(現在の江ノ島電鉄線)の土橋を腰越に、腰越浜上を小動に改称。
  • 1931年(昭和6年)1月1日 - 町制施行し、腰越町になる。
  • 1933年(昭和8年) - 町内には、水産業340世帯、専業農家70世帯、兼業農家95世帯[1]が所在。
    水産業は、サバカツオイワシクロダイの漁を主としていた。
  • 1935年(昭和10年) - 総世帯数は1,053となる。江ノ島電気鉄道の大境 - 追揚間にキャンプカー前臨時停留所を開設。
  • 1938年(昭和13年)12月 - 鎌倉町藤沢町で、片瀬町と腰越町を合併するための争奪戦が発生。
  • 1939年(昭和14年)11月3日 - 鎌倉町と腰越町が合併し、鎌倉市となる[2]
    腰越町域は、鎌倉市腰越・津となる。

交通

鉄道路線

道路

脚注

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関連項目

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  1. 町勢要覧
  2. 同日、内務省告示第515号